「コリカンチャ」再発見
久しぶりにコリカンチャを訪ねてみた。コリカンチャとは、ケチュア語で「黄金のある場所」、「黄金の光」という意味である。
インカ時代、コリカンチャと呼ばれる聖なる建物は文字通り黄金に輝いていた。その内壁には指二本分の厚さに金が塗られ、内庭には純金製のアルパカの立像や等身大のトウモロコシが置かれていた。
さらに神殿内部に入ると、祭壇は純金製の神具に飾られ、その周囲には、奉納された黄金の品々が山と積まれて眩しいほどであったというというから、まさにそこは名前の通り、「黄金の光に輝く場所」であったようだ。
16世紀、スペイン軍がクスコに入ったあとは、これらのすべての金は持ち出され、溶かされて本国へと送られた。その後、上屋は取り壊されスペイン風の「サント・ドミンゴ教会」に建て替えられてしまった。(写真3)の建物がその外観である。
館内に入ると、内庭を挟んで左手と右手には、かっての建物の一部が残されており、建造技術の凄さを目にすることが出来る。幾度となく訪ねている私も、目にする度に驚異的なテクノロジーに舌を巻き、畏怖の念を抱くほどである。
建て替えられた教会は、16世紀以降、クスコを襲った地震のたびに崩壊し、再建を繰り返してきているのだが、基壇となっている石壁は大地震にもびくともせず、原初の姿をそのまま残している。それらは現在も、カミソリの刃どころか、空気さえ通さぬほどに精緻に組まれたままだから驚かされる。
(写真3,4)を見て頂くとわかるように、左側の部屋(「7色の虹の神殿」、「カミナリの神殿」)の石壁は内側に傾斜して造られている。耐震性の秘密がそこに隠されているようだ。地震に対する強さにはいまひとつ大きな理由がある。
石壁はただ単に石を重ねたものではなく、外観からはわからないが、要の石には穴が開けられ、そこに凸部を持った石を噛ませることによって補強させているのだ。(写真6)を見るとその細工の一端を垣間見ることが出来る。
次頁で紹介するように、最近外庭から発掘された石を見ると、その多くに凹凸がつけられている。コリカンチャの原型を造った人々が、いかに耐震性に対する知識とそれを支える驚異的な技術を持っていたかがわかる。
右側にある大部屋(「星の神殿」と呼ばれている)の中央部には、数十個の溝穴が開けられた開口部がある(写真7)。開き戸が設置されていたのではないかと思われるが、銀行の大金庫の扉を持ってきても違和感がないほどだ。
さらにこの部屋に入ると、石壁の精緻さに舌を巻くことになる。(写真10)は部屋の右奥のコーナーを撮ったものであるが、左手正面の石壁と右側の石壁では、石の切り口に微妙な違いがあるのがわかる。
正面のクローズアップが(写真11)、右側が(写真12)である。
右側の壁は石の端が緩やかに丸みを帯びているので、石と石との間をさわると継ぎ目の感触がわかる。しかし正面の壁は完全に平らな石を使っているので、目をつむって手で撫(な)でてみると、継ぎ目がまったく感じられず、まるで一枚石のように錯覚する。この石組みの技術は驚異的だ!
継ぎ目に接着剤が使われていないことだけでなく、石の切り口の精緻さが実感できるので、訪問する機会があったら是非試してみて頂きたい。
さらに建築の緻密さに驚かされるのが、(写真13)である。観光客が目も止めずに過ぎ去る部屋の一角に、指先の太さほどの穴に石が埋め込まれ石壁がある。作業の途中で欠けた部分を補修したものと思われるが、「蟻の穴から堤も崩れる」、中国の古典を地でいくようだ。
インカ人はこれだけのスーパー・テクノロジーは持ち合わせていなかった。それは間違いない事実である。それを端的に物語っているのが次の写真だ。
入り口すぐ左手の部屋にコリカンチャの全景模型(写真14)が置かれている。インカ時代のコリカンチャの姿を再現したものである。石壁の上に置かれた屋根が、精緻な石壁とはあまりに場違いな藁葺(わらぶき)きであることに注目して欲しい。
学者の主張がいかに間違っているか。もはや多言を要すまい。この先は読者の見識にゆだねよう。