ラス・シクラス遺跡

話は元に戻るが、坂根氏が「ラス・シクラス遺跡」を発見したのは、氏が天野氏の後を引き継いでチャンカイ文明の遺跡調査に関わってきていたことが大きなきっかけとなっている。というのは、発見された遺跡はビスキージョ遺跡と呼ばれる小規模な遺跡で、チャンカイ遺跡に隣接していたからである。

坂根氏は、「そこのこんもりとした丘に開けられた盗掘坑の中から「シクラ」が出土したことが、重大な発見につながりました」と語ってくれた。

以前は、周辺の遺跡は皆チャンカイ文明のものという先入観で見ていたが、この網の袋 「シクラ」はカラル遺跡からも出土したものに非常によく似ていたことから、これに着目した坂根氏はその切れ端を日本の筑波技術大学に渡し、カーボン14測定による年代鑑定を依頼したのだ。

それが昨年の8月頃だったようで、ちょうどその頃、カブレラ博士の著書の日本語版出版のためにペルーを訪れていた私は、氏から「おもしろい発見になるかもしれませんから、心待ちしていて下さい」と聞かされていた。

それが今年に入って6月に朝日のスクープ記事として発表され、多くの日本人の知るところとなったというわけである。新しい遺跡については、春の予備調査の後、ペルーのINC(文化庁)の正式許可を得て、秋頃から本格的な調査が始まる予定である。

シクラス遺跡の年代鑑定が紀元前3000年近いものであることからして、この遺跡が先のカラル遺跡とほぼ同年代のものであることは間違いないものと思われる 。現に、予備調査の結果、二つの遺跡はシクラを使う建築方法や、文字や土器が発見されていないことなどの共通点が明らかとなっている。

さらに本格的な調査の結果、カラル遺跡につながるもので、ペルー海岸部で広範囲に都市的な発展があったことが裏づけられれば、ペルーの歴史を根底から覆すだけでなく、人類の歴史観をも一掃する重大な発見となることは間違いない。

その理由の一つは、これまでの考古学の常識であった、人類の文明は大河のほとりから発生したという定説が完全に覆される点である。先述したようにカラル遺跡のほとりを流れれスベ河もまたラス・シクラス遺跡を流れるチャンカイ河も大河と呼ばれるものとは遙かにかけ離れた小さな河に過ぎないからである。

それに今回の発見は、文明やその基盤を支える技術は人類の誕生から次第に発展し続けてきたという、これまでの考えもまた一掃することになってくる。なぜなら同じペルーに発達した多くの文明が、実は古い時代ほど石造建造物などの技術が高度であったことを示しているからである。この事実は、発見者である坂根氏をはじめ、ペルーの考古学者を悩ませることになるのは間違いない。

現に、案内して頂いた帰りの車の中で、坂根氏が言った一言がそれを如実に物語っていた。「我々はペルーの文明について何もわかっていなかったということですよ!」「我々はつい最近まで、チャビンが最古の文明であると信じ続けていましたし、それ以前、それもチャビンより2000年も古い時代に、モチーカやナスカ文明の土木技術を遙かに上回る技術が存在したなどということは、誰もが想像すらしていませんでしたから」

しかし、カラル遺跡や坂根氏の発見した驚異的な遺跡の話を聞いても、私には何の驚きもなかった。なぜなら、人類の文明は太古の昔から栄枯盛衰を繰り返してきていると信じているからである。

やはり「先史文明」は実在した !

それは、エジプトの三大ピラミットを見ればすぐにわかる。かの偉大な建造物は、私がかねてから主張してきているように、クフやメンカウラー王によって建造されたものではないからだ。彼らは単に周辺の一部の建造物、神殿やスフィンクスを砂の中から掘り起こし、偉大な祖先の遺産に敬意を払ったファラオにすぎなかったのである。

ペルーにおいてもしかり。南アメリカにはチチカカ湖の近くに巨石を利用した強大な建造物をはじめ、アンデスの高地に残されたマチュピチュ、オリャンタイタンボ、サクサイワマン、コリカンチャ遺跡、さらには海岸沿いのナスカに描かれたナスカの地上絵、それらもまたすべて先史文明の確かな遺産なのである。これらは皆その後の文明の遺産の技術を遙かに上回ったものばかりである。

その根拠については改めて書かないが、掲載済みのHPや私の既刊書を読んで頂いている読者にはご納得頂けるはずである。数十トンから数百トンに至る巨石を運搬し、カミソリの刃も入らぬほどに精緻に石積みする技術は、インカ人やチチカカ湖文明の人々になかったことは明々白々であるからだ。

また、ナスカに残された地上絵や隣接するパルパの岩山を削って造った巨大な滑走路状の地上絵もまた、空を飛ぶ術を知らず、青銅以上の道具を持たなかったナスカ人に造れる代物ではない。

そう考えれば、かって存在した高度の文明・高度のテクノロジーの一部が新たにスタートした粗野な文明人に継承され、石造りの建造物が造られたものという推理が成り立つ。その一つがカラル遺跡のピラミッド群であり、マヤの天文学的知識である。

考古学者は人類の歴史をほぼ解明したがごとく主張しているが、実は何もわかっていないのが現状である。世界の各地に、彼らの仮説ではまったく説明の出来ない不思議が建造物や遺物がごろごろ転がっている。学者はそれらを一切無視し、関わりを持たないようにして、地位を維持しているのだ。

その一端が今回のカラル遺跡やラス・シクラス遺跡の発見によって明らかになってくるはずである。坂根氏がいみじくも語った「我々は何もわかっていなかった!」という思いは、何もペルー文明のことだけではないと、私は信じている。

考古学者や歴史学者たちが発見してきた遺跡や遺物は、過去の文明が残してきたほんの一部の痕跡に過ぎないのだ。マヤ文明の遺跡がわずか5%しか発見されていない事実がそれを端的に物語っている。彼らは、謙虚な気持ちで新たな発見を受け入れ、勇気を持って従来の歴史観を覆すべきである。それこそがペルーで発見されつつある新たな遺跡が人類に告げようとしている最大の問題点ではなかろうか。

 

 

 

 

ピラミッド C

円形神殿と階段ピラミットがらなる祭儀用建造物

奥行  170.80m
幅  149.69m
高さ  29.88m

 

ピラミッド C

最大のピラミッド

円形神殿

ピラミッドへの階段

 

 

ピラミッドの1段目を
横から見る。
直線がかなり正確に
引かれている

 

1段目の角には、
2m近い巨石が
使われている。

ピラミッド D

奥行  54.06m
幅  52.04m
高さ  12.90m

階段の前方50m
ほどの所に石柱が
立っている。