謎の空中都市
マチュピチュ
いよいよ今日は、長い間夢に見てきた、謎の空中都市「マチュピチュ」を目にすることになるかと思うと、いやが上にも胸が高鳴る。朝6時のクスコ発のアウトバゴンと呼ばれる列車に乗るため、早朝にホテルを出る。列車は4両編成で、決して豪華とは言えないが、若い大卒のお嬢さんが添乗して、サービスしてくれる。
マチュピチュの麓の駅プエンテ・ルイナスまでおよそ3時間ほどの列車の旅が始まった。マチュピチュは、クスコから北西120キロに位置し、アマゾンの源流の一つであるウルバンバ川に沿った、標高2460mの山頂にある。
列車はクスコから1000mほど下り、ウルバンバ川に出会った地点から、さらに渓谷沿いに緩やかな下降をつづけ、500mほど標高を下げていく。クスコを出た直後は、傾斜が急のため、登山電車と同じようにZ型のスイッチバックを何回も繰り返して進んで行く。そのため、どうしても進行速度が遅くなってしまう。
隣に座った現地のガイドさんとマチュピチュの遺跡話に花が咲く。遺跡は、マチュ・ピチュ峰と呼ばれる山の頂きに築かれた古代都市で、神殿や住居を中心とした都市部と、階段畑などから成っており、下水道まで完備されて、1万余の住民が十分に自給自足が出来るほどであったという。ガイドさんからそんな話を聞いているうちに、私は、有名なマチュピチュ発見記を思い出していた。
アメリカ東部の名門大学エール大学出身のハイラム・ビンガムは、インカの黄金伝説を求めて、険しいウルバンバの渓谷をよじ登っていた。同伴者は、「失われた都市」の遺跡のありかを知っているという案内役の少年と、政府から差し向かわされたお役人二人、時に1911年7月24日のことであった。ものすごいむし暑さで、息も絶え絶えになるなか、一息ついて振り返ると、眼下には、ウルバンバ川を見下ろす絶景が広がっていた。
それにしても見渡す限り、まわりはうっそうとして、灌木とつる草が生い茂り、本当にこんな険しい山の上に、自分が探し求めているインカの遺跡があるのだろうかと、何度も何度も不安がよぎった。しかし、ここまで来たからには、峰の上に古い遺跡があるという、少年の言葉を信じるしかない。必死の思いでインディオの少年の後を、這い登っていった。
数時間が過ぎて、四人は、すでに雲の高さまで進んでいた。こんな高いところで人間が暮らせるだろうか?人が住めないところに遺跡があるはずがない。そんな思いに駆られたその時、「いきなり何の前触れもなく、少年は巨大な岩棚の下に、精緻をきわめた切石で、美しく敷き詰められた洞窟を指さして見せた。これこそインカ皇帝の霊廟に違いなかった。・・・・」、ビンガムの手記は、そのときの驚き様を、目に浮かばせる。
少年の言葉は本当だった。そこは、さまざまな石造建築物が並ぶ古代都市の廃墟だったのである。
「この岩棚の上に半円形のたてものがあったが、その外壁は,ゆるやかに傾斜し、かるく
湾曲してクスコの有名な太陽の神殿に驚くほど似ていた。これもおそらく太陽の神殿だ
ったのだろうか・・・・、
やがて少年は、石の階段らしいものの上を、険しい丘の頂まで上がってみよう、とうなが
した。驚きの連続で戸惑うばかりである。僕らは、巨大な花崗岩のかたまりで造った大き
な階段にぶつかった。
そこから、農夫たちが小さな野菜畑を作っている開拓地まで歩いていくと、いきなり、古代
アメリカでも最も立派で最も興味深い、二つの遺跡の前に出た。
美しい白花崗岩で作られ、壁面には人間の高さよりも高い巨石がいくつも組み入れられ
てある、この眺めに、僕は魔法にかけられたように立ちすくんだのである」
遺跡の探索がつづくに連れてビンガムの驚きはさらにましてくる。彼の手記はつづく。
「私は思わず息をのんだ。ここは、どういう場所なのだろう。・・・・・・巨石を調べ、そのひ
とつが10トンから15トンもあろうと推定したとき、私は夢を見ているのではないかと思った。
私の発見を、誰が本気で聞いてくれるであろうか!」
1533年、フランシスコ・ピサロによるクスコ入城以来、およそ400年もの間、外来者の目に触れることなく、しずかに眠りつづけてきた古代都市が、その姿を現した瞬間であった。
ハイラム・ビンガムのマチュピチュ発見の思い出に耽けっているうちに、いつの間にかウトウトしてしまった私は、列車の大きな揺れで目を覚ますと、アウトバゴンはウルバンバ渓谷の急カーブを曲がっているところだった。それにしても、列車の中がやけに蒸し暑い。外を見ると、ウルバンバ川沿いに熱帯雨林が生い茂っている。そういえば、この地は赤道直下にほど近いところであったことを思い出した。標高さえ下がれば暑いわけである。
途中停車の駅に着くと、インディオの女性たちが、アルパカの毛で編んだ色鮮やかな織物や敷物を両手、両肩に、「おにいさん、これやすいよ!」と連呼してくる。欧米系の観光客の方より日本人観光客を集中的に攻めてくるところを見ると、彼女たちは、日本人の気前の良いところを熟知しているようである。
予定時間を大分過ぎて、ようやく列車は、目的地プエンテ・ルイナス駅に到着した。そこからバスで一気に500mほど登ることになる。日光の「いろは坂」が子供じみて見えるほどの急斜面を、土埃をあげながら登っていく。気の弱い人や、高所恐怖症気味の人はけっして窓の外は見ない方がよい。帰りの下り勾配の時には、その感がなおさら強い。
頂上に着くと、そこには立派なホテルとレストランがあり、多くの観光客が食事をとりながら、休憩をしていた。すぐ近くのはずなのに、休憩所からは遺跡は全く見えない。ガイドさんの案内ももどかしく、心せくままに遺跡へ向く足が早まる。急な斜面を10分ほど歩いただろうか、突然目の前に、あのマチュピチュの遺跡が姿を現した。
写真やポスターでお馴染みのワイナピチュ峰を背景にした「空中都市」マチュピチュの遺跡が、いま眼前に広がっている。ウォーと言ったまま、しばらくは声も出ない。周りの人々もみな無言で、ただ、じっと見つめている。まさに、感動の一瞬である。この景観を前に、言葉など不要である。長い人生の中でこれほどの感動を覚えたことがあったであろうか。今日という日は、絶対に生涯で忘れられない日になるだろうという思いが脳裏をよぎる。
所定の時間、3時間では、この壮大な遺跡を十分に探索することはとても不可能だ。苔に覆われた段丘を上り下りしながら、主立った建造物を見て回る。途中、ふと見上げると、そこにはワイナピチュ峰がそびえている。険しい峰の頂上部分を見ると、なんとそこにも階段状の畑があるではないか。そこに草花でも植樹していたなら、風流な眺めであったろうが、穀物用の畑であったとしたら、遺跡の住人にとって、食料は相当深刻の問題だったに違いない。
それにしても、平坦部が少ないこの遺跡を見学するには、相当の上り下りを覚悟しなければならないようだ。すべての階段数が3000以上あるそうだから、足腰に自信がないと、遺跡を一気に見学するのは無理かもしれない。
いろいろな建造物を見て回っている内に気がついたのだが、どうやら、遺跡の一部は、何らかの理由で途中で追加されたようだ。この辺に、マチュピチュ建造の謎を説く鍵がありそうな気がする。(関心のおありの方は、マチュピチュ遺跡:詳細レポートを参照されたし)
残念ながら、あっという間に見学の時間が終わってしまった。団体旅行なので、これ以上居残るわけにはいかない。最後に南側の高台に立って、あの感動的な景色を瞼に焼き付けた。必ず、もう一度来ることになるだろうと思いつつ、後ろ髪をひかれる思いで、遺跡を後にした。