心を和ます草花の精霊

アキレス腱通に悩まされてしばらくの間、出歩けずにいたが、少し快方に向かってきたので、久しぶりに家の周りを散策してみた。

道ばたや庭先には、きれいな夏の草花が咲いていた。お馴染みのキキョウやヒマワリ、ユリと一緒に、 目につきにくい路地や青垣根の一角に、名前も知らぬ可憐な草花の姿があった。足に何の不自由もなかったら見逃してしまったに違いない草花たちである。

夏空に向かって雄大に咲き誇るヒマワリや満開のユリの女王・カサブランカも見事であ るが、人目につきにくい片隅に咲いている小さな草花を見つけると、まるで宝物を見つけたように嬉しくなったて、心が和(なご)んでくる。世情や人心がどう移り変わろうと、委細構わずただ一筋、咲き誇ることに 、心の喜びを感じているに違いない草花の精霊たち。
 


 

 

ヘクソカズラ

 

人の魂は、その成長の過程で動物や植物の時代を経験してきているという.。美しい草花を追いながら散策していると、自分は一体どんな植物に魂を宿していたことがあったのだろうかと、考えてしまった。私は風情(ふぜい)があるキキョウやアジサイが好きだが、 自分にはそんな奥ゆかしさがなさそうなので、にぎやか咲いてはさっと散る「ヒマワリぐ 」か「ヤマユリ」ぐらいではなかったかと思われる。 あなたはどんな花だったと思いますか?

先日、徳間書店の新刊本の企画で、ロバート・モンローのヘミシンクでお馴染みの坂本正道氏と対談したが、氏はプレアデスから地球生命圏にやって来る途中、宇宙を漂う岩石から魂の旅をスタートしたようだと語っておられた。

退屈きわまりない岩石時代でも、宇宙を飛来する最中に他の岩石と次々とぶつかり合う時に、なんとも言えないエクスタシーを感じたと言うから、艶やかに、可憐に, 雄々しくしく咲き誇っていた草花時代の喜びは、さぞかし素晴らしいものだったに違いない。

混沌とした世情や人心の乱れを見るにつけ、草花時代の記憶を少しでも思い出せたら、刺々(とげとげ)しくすさんだ心に、優(やさ)しさや穏(おだ)やかさが蘇ってくるだろうにと、思わずにはいられない今日この頃である。

 

 

 

  秋の七草の朝瓢(あさがお)は
キキョウのことだと
いわれている。

となると、私が好きなキキョウ
は秋の草花と言うことになる

 

オイランソウ
(フロックス)

青ガエル

ヒメヒオウギズイセン ?

 

 

真夏を代表する
雄大なヒマワリ

 

キタテハ



オイランソウ
(フロックス)

 


フィリガクアジサイ

こんな白い花をつける
アジサイ(紫陽花)もある

 

 

 

山地草原に咲くオニユリ

 

今ではトンボの姿を見るのも
珍しくなってしまった。

秋の七草・オミナエシ

カサブランカ