野鳥撮影が育てた「辛抱する心」
写真の師匠となる桑島献一氏に出会ったのが2002年、まだ出始めのデジタルカメラを手にして間もない頃であった。それから野鳥撮影の手ほどきを受けてほぼ6年、この間に撮影した枚数は遺跡探索や南極、北極の旅の写真を加えると、優に5万枚は超している。もしも、これだけの枚数を
アナログカメラで撮影していたら、
フィルム代と現像代で家が傾いていたかもしれない。
撮影指導の中で最も身に付いたのは、2回にわたるアマゾン源流での撮影中、手取り足取りで教えてもらった実地訓練であった。40度を超す高温に100%の湿度、それに、蚊やダニに襲われる劣悪環境に比べると、氷点下の極地旅行中の方がはるかに楽であった。そんな環境の中で教えられた基本テクニックは、お陰でいつの間にか身体が覚えていて、
今でもファインダーを覗くと蘇ってくる。
私はどちらかというと気の短い方である。しかし、野鳥を追っているうちにいつの間にか、少しずつ気が長くなってきたように感じられる。撮影を始めて間もな
い頃は、鳥の姿や鳴き声を聞くと、すぐにその後を追いかけるのが常であった。しかし、しばらくして、逃げる鳥を追いかけ回していたら、いつになっても、これと言った
写真が撮れないことに気がついた。
それゆえ、最近では、野鳥撮影の秘訣は 「1に辛抱、2に辛抱、3,4が無くて5にテクニック」 だと、自分自身に言い聞かせている。つまり、野鳥撮影に
は、「辛抱に勝る妙薬なし」というわけである。
先ず、撮影当日、今日はこの野鳥を撮りたいと狙いを絞って山中に入ったら、お目当ての鳥がやって
来そうな場所を直感で決め、あとはただひたすら待ち続けるのだ。最近は、同じ場所で数時間、時には、7、8時間 、動かずに辛抱することも多くなった。
こうした辛抱は時には思わぬ幸運をもたらすことがある。鳥に誘われるように小さな動物たちも一緒にやってきたり、
狙いの鳥とは別の思わぬ野鳥がやって来て、絶好の撮影チャンスを作ってくれることもあるのだ。その一例が、前回の@に掲載したリスと
、苔むした岩の上でポーズを取ってくれた、今回Aのキジの出現である。この2枚の写真は、まさに辛抱がご褒美(ほうび)にくれたプレゼント
であった。
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人間に敏感な野鳥撮影の時には、テントの中で待機する
辛抱と忍耐が求められる時である
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レンズも600ミリになると持ち歩きがしんどくなってくる
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鳥たちは一定の周期で巡回しているので、その周期の間に入ってしまうと、2時間ぐらい全く鳥が姿を現さないこともある。それゆえ、気の短じかい人は、すぐに辛抱しきれなくなってしまう
ことになる。特に、小型のテントを張ってその中でじっと待っている時こそ、辛抱と忍耐が求められる。
しかもただ待っていれば良いというわけではない。いつ現れても良いように緊張感を持ち続けなくてはならないのだ
。ここがしんどいところである。やって来る鳥によっては、時には急いでレンズを変えなければならないこともある。だから、近くに来たら、何がやって来たか、すぐに察知して準備する必要があるのだ。
それに、たとえ待ちこがれていた野鳥がやって来たからといって、しばらくその場に留まってくれる保証はない。ましてや、望んでいた小枝や岩の上に止まってくれることなど希(まれ)中の希である。だから、気を抜いていたら、そうした千載一遇の撮影チャンスも一瞬で消えてしまうことに
なる。
そんなことになったら、その悔しさは、夢の中にまで出て来て後悔させられる。だから、待機中は、おにぎりを頬張ったり、お茶を飲んでいる最中であっても決して気を抜いていられないのだ。こんな時に限って、待ちこがれた鳥がやって来るから
である。そのため、食べかけのおにぎりやお茶を投げ出したことの何度あったことか。
だからこそ、1に辛抱、2にも辛抱なのだ!野鳥撮影に辛抱がいかに大事かお分かり頂けたであろうか。
一方、「必要は産みの母」という格言がある。どうやら、この格言に従うなら、よりよい写真を撮ろうとする意欲が
、気短かな私に辛抱心を産んでくれたようである。今回の「春の野鳥@、A」に掲載した31枚の写真もまた、7日間、およそ50時間にわたる忍耐と辛抱の産物である。駄作(ださく)ではあるが、
読者には是非、そんな撮影状況を頭に入れて見て頂だきたいものである。
(撮影日: 5月2日、4日、5日 7日)
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