5羽のヒナたち
成長したヒナが巣の中で盛んに羽ばたきを始めだした。狭い巣の中での羽ばたきは他のヒナにとっては迷惑先晩。しかし一足先に産毛が抜けきった成鳥は周りの迷惑顔などお構いなしだ。羽ばたくたびに小鳥の羽や自分たちの抜け毛が舞い上がって,、巣の中は紙吹雪が舞い散るようだ。
給餌の様子を見ていて不思議なことがある。親鳥がエサを持ってきて1羽のヒナに与えると、他の4羽はうらやましそうな顔はするものの、決して手を出さず眺めている。
なぜか餌を取り合うことがないのだ。どう猛な猛禽類から受ける印象とは少々違う態度に驚かされる。
ヒナたちは食べ終わるとすぐに糞をする。これは鳥の習性だ。飛ぶためには我が身が少しでも軽い方がよいからだ。ところが巣の中ではせずに、みな外にお尻を出して
する。巣の下の白色の糞の跡を見ればよく分る。誰が教えたわけでもないのにたいしたものだ。5匹にヒナが代わる代わるおしりをこちらに向け糞の競演だ。何ともほほえましい風景である。
激減する小動物が暗示する人類の近未来
5月28日、最初のヒナが孵ってからちょうど1ヶ月。そろそろ巣立ちを始める時期である。しかし今回は一向に巣立つ様子がない。巣の入り口で盛んに羽ばたきをするものの、しばらくすると奥に入ってしまう。
どうしたのだろうか?
どうやら、ヒナの数が例年より多いために、エサが十分に与えられなかったせいもあるようだ。それに見ていると、トカゲや昆虫などの小さなエサがほとんどで、ネズミや小鳥などの
大型のエサが少ないように感じられた。
それだけ野鳥やネズミの数が減っているのだろう。利便性と快適性を追い求めた近年の人間の所行が、こうした野鳥や小動物の生存に深刻な影響を与え始めているのだ。
夏の夜に舞う蛍(ほたる)や稲穂にとまるイナゴ、松林でうるさいほどに鳴くセミ、秋空を乱舞するトンボの大群、こうしたの季節の風物詩を見えなくなってすでに
久しい。次には、見慣れた野鳥が次々と姿を消していく番だ。
そういえば、ここ八ヶ岳山麓でも近年ツバメの姿がめっきり少なくなってきた。
特に昨年あたりからその減り方が異常だ。その大きな要因は、カラスなどによって巣立つ直前のヒナが食べられてしまうためだ。
八ヶ岳近郊も農家が激減し、彼らの餌となる穀物類が減ってきているから、カラスたちが小鳥などの小動物に目を向けるようになったのだ。身近な動物に見られるこうした変化は、やがて
訪れるに違いない地球的規模の大激変が、目の前に迫っていることを暗示しているようだ。
巣立つヒナ
親鳥が巣の前で旋回飛行を繰り返し始めた。ヒナの巣立ちを促すディスプレイだ。ヒナたちに巣立ちの日の来たことを教えているのだ。それから2日後の6月1日、普通より4日遅れで、最初のヒナ
の巣立ちが始まった。
「巣立ち」と聞けば、誰もが、勢いよく羽ばたいて巣から飛び立つ姿を思い浮かべるに違いない。しかし、チョウゲンボウのヒナたち
の巣立ちは、そんなに格好がよくないのだ。というのは、彼らは恐る恐る巣から出た後、岩づたいに崖をよじ登って高台を目指すからだ。
飛ぶ気になれば飛べるはずなのに
、こわごわそうに崖を這い上がって行く姿を見ていると、巣の位置が高いせいもあるだろうが、やけに臆病そうに感じられてならない。カワガラスの巣立ちを眺めた後だけに、よけいにその感が強い。3時間ほどかけて、ようやく上段の茂みや木陰ににたどり着き、そこで親からエサを受け取る。
最後のヒナが巣立ったのが6月4日、甘えん坊のヒナは最後まで巣の中でエサをせがんでいたが、親鳥がとうとうエサを運ばなくなった。臆病なヒナを巣から出させるにはこの手が一番だ。
親鳥は近くの岩にとまって、エサをちらつかせる。
こうなると、空腹に耐えきれなくなったヒナは勇を決して巣を離れるしかない。「甘やかせ過多症」の人間の親子に見せたいシーンだ。巣を出たヒナは心許ない足取りながら岩壁の突起した岩の間を羽ばたいたり、よじ登ったりしながら必死に親の呼ぶ上段
へと進んでいく。
こうしてチョウゲンボウの5羽のヒナは無事巣立っていった。
年末には、NHKの「地球・ふしぎ大自然」で放映されるようなので、巣作りから巣立ちまでの様子を映像で見ることが出来るかもしれない。最後の撮影を終え、現場を後にした私の頭の中を、1ヶ月のヒナの成長の様子が走馬燈のように駆けめぐっていた。