天野博物館の坂根博・学芸主任の案内でカラル(Caral)遺跡を訪ねた。リマから車でパン・アメリカン・ハイウエイを3時間ほど走ったあと、砂漠の中に入り、デコボコ道を1時間ほど走るとカラル遺跡に着く。
この遺跡は、日本ではあまり知られていないが、今から10年ほど前に発見されたもので、従来の考古学的歴史観を根底から覆す注目の遺跡である。現在ペルーの考古学者によって発掘が進められている。
従来の考古学では、紀元前1000年頃に発達したしたチャビン文明がペルーにおける文明の始まりとされてきていた。現に、今でもその考えにとらわれている学者は多いようだ。しかし、このカラル遺跡はそれより遙かに古く、紀元前2600〜2800年
頃の遺跡である。
さらに驚くのは、周辺の砂漠一帯に広がる広大な都市跡からは、9つのピラミッド群が発見されており、それらのピラミッドには石が使われていることである。この点もまた、従来のペルーの歴史観を根底から覆すものであった。
というのは、これまで発見されているピラミッドは、それより3000年も後の時代、紀元後100〜500年頃に栄えたモチーカ文明やナスカ文明の
もので、それらのピラミットは日干しレンガを積み重ねて造られているからある。
カラル遺跡のピラミッドに使われている石は、エジプトの三大ピラミットやマヤのピラミット群のような長方形に刻まれた大きな石ではないが、それでも個々の石の大きさは4〜50センチはあり、ピラミットの四面体の角
などには、1メートルを超す大きな石も使われている。中でもカラル遺跡最大のピラミットの一角には2メートル近い巨石が使われている。
ピラミットに限らず巨大な建造物を丈夫で長持ちさせるには、「日干しレンガ」と「石」とどちらが適しているかといえば、言うまでもなく後者に決まっている。だから石で作るに越したことはないのだが、石の建造物を造るには切り出した大量の重い石を建造現場に運ぶ作業、それ
らを正確かつ頑丈に積み上げている技術が不可欠である。
そう考えると、構造、耐震性に優れた石のピラミッドの方が、レンガ造りのそれに比べて遙かに高度の技術が求められることは間違いない。だからこれまでの考古学の常識からすると、石を使ったカラル遺跡と日干し
レンガのモチーカ遺跡やカワチ遺跡では、当然カラル遺跡の方が新しい時代(後代)の建造物ということになってくる。
ところが、カラル遺跡の実態が明らかになるにつれ、その考えが根底から覆されることになったのだ。それは、石を詰めた「シクラ」と呼ばれるアシなどの植物繊維で作られた袋状のネットが発見され、その年代鑑定からカラル遺跡がモチーカやカワチ遺跡に比べて3000年も古いことが確かめられたからである。
だから今でもペルーの考古学者たちは、この逆転現象が説明できずにとまどっており、中にはカラル遺跡の年代に疑問を抱いている学者もいるのだ。
紀元前2000年から3000年代の大型の石造建造物といえば、メソポタミアのジグラットやエジプトのピラミット群を思い出す。しかし、三大ピラミットは私が主張するように失われた先史文明の遺物痕跡だとすると、他のピラミッドは紀元前2000年代以降の建造物ということにな
ってくる。マヤのピラミッドも現在までに発見されているいるものは、どれも紀元後のものである。
そう考えると、カラル遺跡に散在するピラミット群は我々の知る歴史観からすると史上最初にして最大のピラミットということになり、その都市の大きさからして世界的な大発見として評価されてしかるべきものとなってくる。
この遺跡の今一つの注目点は、近くに流れているスベ河は小さな流れで、決して大河ではないという点である。我々が教えられてきた歴史では、世界の4大文明、つまりエジプト、インダス、メソポタミア、中国の歴史はすべてナイル、インダス、チグリス・ユーフラテス、黄河といった大河のほとりに発生したとされてきた。
ところが、4大文明と並ぶと思われれるこの都市周辺にはそんな大河は流れていないのである。ということは、従来の文明発生の歴史観を変えなければならなくなってくる。それゆえに多くの考古学者が注目していながらも、未だにその年代や都市の大きさに疑念を抱いているのである。
その疑念を一掃する発見が、そこから150キロほど南の砂漠の中からなされたのである。それが、6月末の朝日新聞で取り上げられた「ラス・シクラス遺跡」であり、この遺跡の発見者の一人が今回案内していただいている坂根博氏であった。
「朝日新聞/6月21日/朝刊 」 写真をクリックすると拡大出来ます。
坂根氏はリマにある天野博物館の創設者天野さんの孫に当たり、早稲田大学を卒業後ペルーに渡り、陶器製造の事業を展開すると同時に博物館の運営にも携わり、チャンカイ遺跡の発掘を続けている。
私の著書を読まれた方はご存じのように、天野博物館は首都リマにある有名な博物館である。ここには、実業家であると同時に考古学者として立派な功績を残され、リマ市から名誉市民の称号を与えられた故
・天野芳太郎氏が発掘したチャンカイ文明(紀元後1000〜1400年)を中心としたプレ・インカ時代の素晴らしい品々が展示されており、中でもチャンカイの織物は多くの訪問客の目を釘付けにしている。
また、今から1400〜2000年ほど前のモチーカ文明や、600〜1000年ほど前のチムー文明の墓から発見された人型土偶は、コロンブス
以前の遙か昔からペルーとアジア、オセアニア、ヨーロッパ、アフリカとの人的交流があったことを裏づける驚異的な「遺物」である。
というのは、それらの土偶は、ローマ、ギリシャ人を初めとするヨーロッパ人をはじめ、エジプト人やアフリカ系黒人、さらにミクロネシア人、中国人や日本人的なアジア系人物
の姿が刻まれているからである。これはまさに、現在一般的に信じられている人類史を完全に覆す「オーパーツ」
だ。
博物館を訪れ、こうした品々を目にした人々は皆、自分たちが体制派の考古学者や歴史学者によって、いかに嘘で塗り固められた歴史観を教えられてきているかを実感させられることになる。
〈 次回へ続く 〉