天野博物館

 

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天野博物館

「天野博物館」には、リマの名誉市民にも選ばれた故天野芳太郎氏が、長年にわたって発掘し集められた、インカやプレ・インカ時代の土器や織物などが展示されている。因みに、収蔵点数は3万点を越すそうである。

考古学に興味のある人はもちろんのこと、織物や染色の研究をする人々にも必見の品々が、館内に独特の展示方法で並べられており、館内を一巡すると、その素晴らしさにため息が出るほどである。

また、それらの展示品を博物館の日本人職員がガイドしてくれるのも、我々にはうれしいことである。(館内は写真撮影禁止になっている)

今回の博物館訪問の主要な目的は、前回見学できなかったプレ・インか時代の墳墓から発見された、古代アンデスのハイテク細工を見学することと、出来ることなら写真撮影をすることであった。

思いがけなくも、館長である故天野氏の奥様にお会いすることが出来、ホーム・ページと執筆中の著書で取り上げたく思っていることを申し上げたところ、特別に写真撮影を快諾していただくことが出来た。

そればかりか、奥様にはこれらの遺物の発掘の状況まで説明までしていただき、貴重なお話をお聞きすることが出来た。お陰様で、日本の皆さんにとっては、珍しくそして貴重な写真をご覧頂けることになった。

このページに掲載するハイテク細工は、先史文明の存在とその文明の高度さを、如実に物語っている。また、アフリカ人やヨーロッパ人などの人物像をかたどった土器は、コロンブスのアメリカ発見より遙かに古い時代に、アンデス文明が世界の人々と交流があったことを示している。

我々が学校で習い、今もなお定説として罷り通っている人類の古代史が、いかに真実の歴史からかけ離れたものであるかを、改めて思い知らされた貴重な体験であった。

 

   著作権について

        写真の著作権はすべて製作者に帰属します。必要の時には必ず事前にご連絡下さい。

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   極微細のビーズ玉@

プレ・インカ時代の墳墓から発見された、とてつもなく高度な技術によって加工された、ペルー産トルコ石のイヤリング。

写真右側の100円硬貨比べるとその大きさが比較できる。

上のスケールで見比べると、円筒形をした緑色のトルコ石の直径は1ミリ強。左側の金細工の大きさも2ミリ以下である。

 

amano-museum1.JPG (37756 バイト)

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   極微細のビーズ玉A

1ミリの円筒形に加工すること自体が大変なハイテク技術であるが、さらに驚かされるのは、この石に開けられた直径がおよそ0.3ミリの穴の加工技術である。

驚きはそれだけではない。発見当時、小穴には、写真に見える糸とは別の、さらに極細の6本の糸が通っていたというが、この糸の細さはなんと、250番手という超極細であったのだ。

現代の紡績技術では、せいぜい140番手までの細さまでしか、紡ぐことが出来ないことを考えると、当時のハイテク技術には舌を巻くしかない。それにしても、彼らはその技術をどこから手にしたのだろうか?

 

amano-museum2.jpg (38856 バイト)

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   驚異的な銀のビーズ玉

発見当時、ミイラの腕に巻かれていたビーズ玉。写真では青みがかって見えるが、実際は酸化して黒ずんで見える。

これも2ミリに満たない大きさで、それがおよそ500個も連なって数珠状になっている。装身具として使われたものと思われるが、それにしても驚異的な技術の産物である。

 

amano-museum3.JPG (70973 バイト)

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  青銅器の鋳物  

鋳物で造られた遺物。

鈴がついているが、不思議なことに、鈴と本体とがつなぎ目が無い環で、連なっている。どのような加工技術で造られたのだろうか。

 

amamo-museum4.JPG (31153 バイト)

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  中国人をかたどった土器 

色々な顔がかたどられた土器をお目にかけよう。

掲載した写真以外にも、アフリカ系ニグロイドや北欧系の人物土器があるが、いずれも、プレ・インカ時代(紀元後100年ー1400年)の遺跡から発見されたものである。

これは顔形が完全に中国人である。モチーカ文化(紀元後100年−600年):高さ25センチ

 

amano-museum5.JPG (35168 バイト)

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  アジア系の人物像土器

アジア系の人物像と思われる。

モチーカ文化:16センチ

amano-museum6.JPG (46503 バイト)

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   アラブ系の人物をかたどった土器

顔つきだけでなく衣装からして、完全にアラブ系民族であることが分かる。

モチーカ文化:19センチ

 

amano-museum7.JPG (20481 バイト)

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  中国系の人物の土器

目がややつり目のところから、中国系の人物と見られている。

モチーカ文化:26センチ

 

amano-museum8.JPG (13426 バイト)

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   ヨーロッパ人の土器

完全にヨーロッパ系の白人像である。

このような人物像の土器が造られたからには、プレインカ時代にヨーロッパやアジア、それにアフリカ大陸との往来があったことは間違いない。しかし、我々が学んだ教科書には、そのようなことは一切載っていない。

モチーカ文化:26センチ

amano-museum9.JPG (46569 バイト)

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   猿と蟹が掘られた壺
 

我が国の昔話「サル・カニ合戦」のルーツがアンデスにあったのだろうか。それとも日本とプレ・インカ人の源流が同じだったのだろうか。

因みに、展示されている織物の中に、男性用の下着「ふんどし」があった。

 

amano-museum10.JPG (50619 バイト)

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  波乗りする二人

サーフィン用ボートと言われているが、木内氏はこれを見て、先史文明で使われていた地上を飛ぶ小型の飛行推進機ではなかったかと述べている。

 

amano-museum11.JPG (25881 バイト)

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  天野館長と

後ろの額に描かれたのが、故天野芳太郎氏。

 

amano-museum12.JPG (42722 バイト)

 

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