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カイロ市内のナイル川沿いに建てられた博物館は、二階建ての簡素な建物であるが、中にはエジプトが世界に誇る超一級の秘宝が所狭しと展示されている。
考古学博物館は、フランスのルーブル美術館から派遣されエジプトで最初の組織的発掘をした考古学者オーギュスト・マリエットによって、1950年に建造されている。
館内の図書室には、マリエットの彫像画が飾られていた。
奇妙なことに、中央入り口の表の天井には、「菊の御紋」が彫られている。
王家の谷から発見された、有名なツタンカーメン王の募室からも、青銅製の「菊の御紋」が発見され、2階ギャラリーに展示されている。
メキシコのマヤの遺跡にもよく似たものが彫られていたが、これらは天皇家の紋章と何か関係があるのだろうか?
エジプト文明が歴史に登場するのは、紀元前3150年ごろからであるが、それ以前には先王朝時代と呼ばれる時代がおよそ2000年ほど続いていたとされている。
先王朝時代は、上エジプトと下エジプトに分かれていたようで、この上下エジプトをはじめて統一したのが「初期王朝時代」第一王朝のナルメル王である。
片岩(へきがん)製のパレットの裏の中央に描かれたのがナルメル王で、頭には上エジプトの象徴である白冠をかぶり、前髪をつかんで囚人を打つ姿が描かれている。
表には、上段に10人の首をはねられた敵の兵士と、凱旋する王の姿が彫られている。こちらの王は、写真ではよくわからないが下エジプトの象徴である赤冠をかぶっている。
表
裏
@
A
B
C
「初期王朝時代」」が350年ほど続いたあと「古王国時代」(紀元前26882181) が始まる。
定説では、この時代の前半に、ギザ台地の三大ピラミッドをはじめスフィンクスや河岸神殿などの偉大な建造物が造られたとされている。
第二ピラミッドとスフィンクス、河岸神殿などの建造者とされているのが、カフラー王の座像は168センチの閃緑岩で作られている。古代エジプトのダヴィンチ作と言われるだけあって、それは均整のとれた見事な像である。
石の中でも最も硬い閃緑岩を彫るには、ダイヤモンドぐらしかないが、一体どうやってこれだけの像が彫られたのか今もって謎とされている。
A・B・C メンカウラー王像
カフラー王の後継者であるメンカウラー王は、第三ピラミッドの建造者とされている。
上エジプトの王冠をかぶったメンカウラー王の、向かって左側に立つのがハトホル女神で、頭上にはこの女神のシンボルである日輪と牛の角が見える。
カフラー王の二代前の王であったクフ王は、第一ピラミッド(大ピラミッド)の建造者として知られているが、最大のピラミッド建造者の像は何故か、わずか数センチの象牙像しか発見されていない。
人類史上最大の石造建造物と言われる「大ピラミッド」の建造者の像にしてはあまりに貧弱過ぎはしないだろうか。
大ピラミッドの前のイシス神殿から発見された、縦70センチ横幅40センチほどのこの石碑には、現在は風化が進んで読みとれなくなっているが、古代エジプトの歴史をひっくり返すほど衝撃的な内容が書かれていた。
中でも最も驚かされるは、大ピラミッドもスフィンクスも河岸神殿もみな、クフ王の時代にはすでに存在していたことが記されていたことである。
もしも、そこに書かれた記述が真実だとすると、ピラミッドやスフィンクスは「オシリス」や「イシス」と言った神々の時代(先史文明)の建造物であったことになり、クフ王やカフラー王の建造説は完全に瓦解(がかい)することになってくる。
伝統派考古学者は、これは後代の偽物で、書かれた内容は空想の産物に過ぎないとしてしまっているが、彼らの説く根拠には大きな問題があった。
ことの真偽は別にして、1階の古王国時代の重要な遺物を展示する部屋の片隅に、今でも飾られているところを見ると、彼らは心底そう考えているわけではなさそうに思えるが ・ ・ ・ ・ 。
次週は、いよいよオーパーツ「木製グライダー」が登場します。ご期待下さい!