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ジェセル王のピラミッドと葬祭複合体
ピラミッドの周囲を囲むように葬祭神殿や礼拝堂が建ち並んでいる。
(『ピラミッド』より) |
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ジェセル王の階段ピラミッド
もとの高さ60メートル、底辺の長さ東西123メートル、南北107メートル。
ただこのピラミッドは第3王朝期に造られて以来、第5王朝期まで数回にわたって拡張され、今日の姿になっている。
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増築の跡が見える
南東の角から眺めると、拡張された様子がよくわかる。
a 最初のマスタバ(墓) b 埋葬用縦坑 c 四面にわたってマスタバ が最初に拡張された。
d それに続いてマスタバが東へ拡張された部分
e 最初の階段ピラミッド(4段のピラミッドにするために最初に高くした 部分
f 6段のピラミッドにするために二度目に高くした部分。
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(『ピラミッド』より)
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ジェセル王複合体への入り口
ピラミッドや葬祭神殿が一体となった複合体を取り囲む壁は、トゥーラ産の白い石灰岩のブロックで建造され、小さな入り口が一つだけ造られている。周辺の13の入り口はすべて偽扉である。
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列柱廊
入り口から真っ直ぐ西に向かって延びる回廊の石柱は、ギリシャのドーリア柱を連想するが、ドーリア柱が歴史に登場するのはこの列柱が造られてから約2000年後のことである。
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神殿や礼拝堂
セド祭が行われた広い中庭の東側に、一群の建造物が建てられている。
セド祭(王位更新祭)はヘブ=セドと呼ばれ、一般に王の治世30年目に行われる儀式で、王の力を再生させることを目的としていた。
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神官像
サッカラから発見された、イチジクの木で作られたこの大きな彫像は、第5王朝期の神官を描いたもので、「村長」の名で知られているエジプト美術の傑作の一つである。 |
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書記座像
第5王朝の初期に作られたもので、古王国時代の最も有名な彫像。
神官像とともに、カイロ博物館に展示されている。 |
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アラバスター(大理石)製の壺や碗(わん)
ピラミッドの底からおびただしい数の石壺や石碗、花瓶などが発見されており、これらは、過去の時代の遺品を集めたものではないかといわれているが、形も仕上がりも優れたものが多い。
中には、オーパーツ的遺物もある。とてつもなく硬い水晶や閃緑岩(せんりょくがん)で作られた、小指ほどの細さの首を持った花瓶は、どうして内部に穴を開けることが出来たのか解明できておらず、先史文明の遺物ではないかと言われている。
(『ピラミッド』より)
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ウナス王のピラミッド
もとの高さ43メートル、底辺の長さ57.5メートル
ギザの三大ピラミッドの建造後(第4王朝期)、わずか150年ほどして建てられたウナス王のピラミッドは、かくも無惨な姿になっている。
両ピラミッドを建造した人々は、時代も人種もまったく異なる人間としか考えられない。
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ウナス王のピラミッド内部
外観と違って地下室の内部はきれいな形で残されており、墓室の壁面には象形文字で彫られた「ピラミッド・テキスト」が残されている。
(『ピラミッド』より)
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ピラミッド・テキスト
古王国時代末期のピラミッドから突然、ピラミッドの内部に「ピラミッド・テキスト」と呼ばれる呪文や祈願文が彫られだした。
ギザの三大ピラミッドや、サッカラ、ダハシュール、メイドムの古いピラミッドにはこの種のものは一切残されてはいない。
古代エジプト語で書かれたテキストは、先史時代にさかのぼると思われるものもあり、いまだ完全な解釈は出来ずにいる。
(『ピラミッド』より)
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ウセルカフのピラミッド
第5王朝初代の王ウセルカフのピラミッドがジョセル王の複合体周壁の北東角からすぐの場所にある。石灰岩のブロックと化粧石で造られてたピラミッドは、瓦礫の山となって見る影もない。(写真上)
元の高さ49メートル、底辺の長さ73.5メートル、傾斜角53度7分。
ウセルカフ王の年代は、紀元前2498ー2491年であるから、ギザの三大ピラミッドの建造者と言われているクフ、カフラー、メンカウラー王の時代からわずか10年ほどしか経っていない。(メンカウラー王は紀元前2532年ー2504年)
学者が言うように、三大ピラミッドが本当に第四王朝のファラオの建造であったとするなら、なぜ突然あの偉大なピラミッド群を造った知識や技術が消え失せ、このような粗末なピラミッドしか造れなくなってしまったのだろうか?
このピラミッドや、ウナス王のピラミッドを見ていると、第一、第三ピラミッドの脇に造られている付属ピラミッド(写真下)を彷彿(ほうふつ)する。(「ギザ台地に立つ@」を参照)
学者言うのと違って、実際は、第四王朝のファラオたちにも付属ピラミッド程度のものしか造れなかったのではなかろうか。
こうしてみてみると、三大ピラミッドがエジプトのピラミッド群の中でも特別のものであることがわかる。やはり、三大ピラミッドは先史文明の遺産であったと考えるのが正解ではなかろうか。
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