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マナワ(manaqua)
イボチョテ(IVOCHOTE)で船を降りた我々一行は、往路で使った小型のバスに乗り換え、マナワ村に向かう。イボチョテは標高が200メートルと低いが、マナワは900メートル。ちょうど私の郷里の八ヶ岳山麓と同じ高さだ。 車で2時間ほどでこぼこ道を揺られ、マナワに着く。ここでも又、元気な子供達と先生に迎えられ、新しい校舎へと案内される。この校舎も父兄達の協力によって出来上がったものだ。お父さん達の中に職人肌の人が多かったせいか、キタパラに比べて完成度が高いように見える。 校舎に入ると、子供達が我々のために作った竹細工や工芸品が並べられている。部屋に張られた言葉の一覧表が日本の「あいうえお」によく似ているのに驚かされる。 しばらく遠巻きに見ていた子供たちも、すぐになれて寄ってくる。この子達の目も輝いている。チップ慣れした観光地の子供と違って、彼らには他人からものをねだる習慣がない。何故か女の子は目のクリッとした子が多く、抱きしめてやりたいほどに可愛らしい。 この子達が、新しい学校が出来て喜んでいる姿を見ると、努力した甲斐があったと嬉しさが込み上げてきた。 満天の星と乱舞するホタル
田んぼでホタル狩りをした幼い頃が思い出され、長い間会ってない幼友達の顔が次々と浮かんできた。あれからもう50年、遠い昔のことであった。 すっかり陽の落ちた夜空を見上げると、いつの間にかそこにはこぼれるほどの星々。満天の星と飛び交うホタルの群れ。快適さと利便性と引き替えに、我々はたくさんの自然の素晴らしさを失ってしまっていたのだ。 今夜も又、踊りと酒宴のキャンプファイアーが焚かれる。大人達だけでなく子供たちも本当に踊るのが好きなようだ。今夜は何とも珍しい体験をすることになった。誘いを受けて踊ることになった女性を見ると、両肩からたすきがけに、何か白い布袋のようなものを掛けている。 よく見るとその袋のようなものがリズムにあわせて跳ね上がっている。不思議に思って中を覗くと、何とそこには赤ちゃんの顔が!そんなに乱暴に動かして大丈夫かと心配になるが、後で聞くと、子供は、ゆりかごに乗ったようなもので、心地よく眠っているのだという。 それにしても、両肩から二人の赤子をつるした女性と踊るというのは、そうめったにあることではなかろう。リズム感を肌で憶えた子供達が、踊りを大好きなわけが分かったような気がした。 開校式典 翌朝、村中の人々が集まって開校式が行われた。正面を見ると二本のポールが立っている。最初に国旗の掲揚が行われるのはキタパライと同じだが、マナワでは何と日章旗も一緒に掲揚するところとなった。ジャングルの空にはためく日の丸を見るのは、なんと奇妙な気持ちだ。 ここには男女二人の先生がおり、若い男の校長先生は、この校舎は近隣の村々の中でも一番立派な校舎ですと、嬉しそうに話してくれた。こんなに喜んでいる姿を見ると、ここでも又付属施設の改装をしてやろうかという気になってくる。 可愛らしい子供達の演技が始まった。昔の原住民の姿で踊る姿はなんとも愛くるしい。 ここでも昼のご馳走は「クイ」だ。ネズミの親分のような「姿焼き」を見ると、どうしても食欲がわかない。それでも村の人々の視線がそそがれた私は、食べないわけにはいかない。「清水寺(きよみずでら)」から飛び降りる心境で口に運ぶ。ところが、いざ食べてみると、味は淡泊でなんとも美味しい。これなら村の人々がご馳走とするわけだ。 後日談であるが、首都のリマに戻った後、天野博物館で案内役をしておられる美人ガイド、鳥井さんと食事をしたとき、この「クイ」の話をしたところ、何と彼女はクイが大好物で、リマでも時々食べるとのことであった。 お別れ 開校式と食事もすんで、いよいよお別れである。名残りを惜しむ人々が輪になって、又踊り始める。彼らは本当に踊りが好きだ。 おおぜいの村人に見送られて、学校を後にする。愛くるしい目をした子供達が最後まで手を振っている。元気でがんばれよ!と叫ぶ。遠くから憶えたての「サヨナラ!」が帰ってきた。
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日没の夜空に半月と |
踊りが大好きな子供達 |
校舎の前のポールに |
マナワの先生には教育者の原点を見る思いがした 後列左から3番目が
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教室
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生徒たちの作品 |
日章旗とペルー国旗が描かれた竹細工には、「アミーゴ ASAKAWA」と、書かれていた
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日本語のアイウエオによく似た「マメミモム」、「パペピポプ」 |
開校式
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挨拶するセサル・ラトーレ |
子供達の演技 @ |
A |
子供達へプレゼント
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「クイ」の姿焼き あなたは食べれられますか?
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別れ間際まで踊り続ける子供達 私と踊るのが先生 |
笑顔、笑顔、笑顔 |