アンデスの村
ペルーの中央部をエクアドルからチリまで7000キロメートルに渡って、標高6000〜8000メートル級の高峰が連なっている。この「アンデス山脈」の足下を走るように流れるのが、インカの遺跡を訪ねる人にはお馴染みの「ウルバンバ川」である。
有名な謎の空中都市「マチュピチュ」も、屏風岩がそそり立つ「オリャンタイタンボ」遺跡もこのウルバンバ川沿いに点在している。これらの遺跡周辺から1000キロほど流れ下ると、川の名前は「ウカヤリ川」と変わり、やがて、ブラジルへと入って「大アマゾン川」となる。
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マチュピチュ遺跡から北上することおよそ200キロ、川幅は次第に広くなり、両岸は熱帯雨林特有のジャングル地帯へと入っていく.。その辺り一帯は文明開化から取り残され、未だに電話も電気も引かれていない未開の地である。
しかし、川沿いには多くの村々が点在し、当然そこには沢山の子供達も住んでいる。一体、彼らには学校教育はどのように施されているのだろうか?誰でもが思い浮かぶ疑問である。
アンデスに学校を
アンデスの高峰を眼下に見ながら、ペルーの首都リマからおよそ1時間で標高3300メートル、富士山の9合目ほどの高地にあるインカ時代の首都クスコに着く。マチュピチュやオリャンタイタンボ遺跡よりさらに1000メートルほど高いこの町で生まれた音楽家セサル・ラトーレ(46才)は縁あって、ウルバンバ川流域の未開の村々を青年時代からたびたび訪れていた。
その折りに、彼が見たのは、ジャングルの一角を切り開いた空き地に建てられた、校舎と呼ぶにはあまりに小さく粗末な学舎(まなびや)であった。屋根には所々に穴が空き、ガラスの入らぬ形ばかりの窓からは、雨期ともなると、雨水が容赦なく降り注ぎ、子供達はくるぶしまで水につかって授業を受けていた。
子供達にとっての受難はそれだけではなかった。広大なエリアに数少ない学校。その結果、通学に3〜4時間もかかる子供もおり、さらにウルバンバ川が増水する雨期、そこを小さな筏(いかだ)で渡らねばならない子供達には、毎日が命がけの通学であった。
そんな姿を見るたびに彼は、通学時間が少なく、危険な川を渡らずに通える地に、風雨にさらされない校舎を建ててやりたい・・・・・そんな思いを募らせていた。
彼の父親は芸術家であった。現在もクスコで肖像画を描く傍ら、ユネスコの南米の代表の一人として活躍している。セサル・ラトーレはそんな父親の血を引いて小さい頃から芸術、特に音楽に関心を示し、中学時代から始めたフォルクローレ(アンデス音楽)は、彼をその道のプロへと導いていった。
1993年に7人編成の「MANAWANAQ」(マナワ)を結成し、演奏活動を始める。その後、学校建設の資金集めをしようとたびたび来日し、主に関西方面でのライブ活動を続けるものの、資金調達は思うように進まず、難渋していた。
セサル・ラトーレとの出会い
そんな折り、『謎多き惑星地球』の取材のためペルーを訪れ、「アンデス50000メートル越え」(当ホームページ掲載)を試みることになった私の、ガイド役をつとめてくれたのが、セサルであった。
旅の道中、彼から「ジャングルの村に学校を」の夢を聞かされた私は、これも何かの縁と、彼の長年の夢の実現に支援をさせてもらうこととなり、学校建設へ向けての2人三脚が始まることとなった。
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そんな経緯で、昨年(2002年)の夏頃に完成した2つの学校、キタパライとマナワの学校の開校式に招かれるところとなった私は、10月、ウルバンバの奥地、ジャングルの村々を訪ねるところと相成った。
今回の旅には、私と一緒にジャングルの学校を訪ねてみたいという、何人かの人達も同行することなったが、クスコから陸路で2日、船旅で1日の道中はその手の旅に慣れていない人達(その大半は女性陣である)には、容易なことではなかった。
そのため、9人の我々にセサルと彼の一族の屈強の男性陣がサポーターとして同行、総勢20数人の一大遠征隊と相成った。標高4000メートルのアンデス越え。当然のように、初めてのメンバーは高度が増すにつれ次々と高山病に倒れていく。
酸素ボンベから出る酸素も、重い高山病には救世主とはなりにくい。高山病の一番の特効薬は高度を下げることだ。しかし、先を急ぐ下りの坂道はタイヤ幅プラス数十センチ、一歩間違えばそこは千尋の谷。闇雲(やみくも)に急ぐわけにはいかない。セサルの義弟のハンドルさばきに命運をかける。
一難去ってまた一難。アンデス越えを終えた我々を待っていたのは、小舟に乗っての十数時間の船旅。ウルバンバ川の激流地にさしかかるたびに我々は船を降り、足下不安な河岸の岩肌の上を這うように歩くこととなる。セサルが岩陰に隠れた毒アリを指さす。刺されたら激痛に襲われること請け合いだ ・ ・ ・ ・ ・ ・
今回掲載する「アンデスに学校を!」シリーズは、このようにして訪ねたアマゾン学校訪問の報告である。
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