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標高4500メートルアンデス越え
いよいよジャングルの村に向けて出発する。先ず越えねばならないのは標高4500メートルのアンデスである。 学校に持ち込む予定の学用品が飛行機の都合で遅れたため出発がずれ込み、山越えの途中で陽が落ちてしまう可能性が強く、無事目的地にたどり着けるか不安になってきた。 何しろ、道中の道幅は狭く一歩間違えば、転落の危険があちこちで待ち受けていることは、前回のアンデス越えでいやと言うほど身にしみているかである。のぞき込むと背筋が寒くなるような渓谷を20数人乗りの小型のバスは、あえぐように上っていく。 途中4000メートル近い高地にも村々が散在しているようで、子供達が通う学校が眼下に見える。山の傾斜地を整地して作った校庭ではサッカーに夢中になっている姿が見える。バスが近づくと、子供達が急斜面を駆け上がって近寄ってくる。彼らには空気の希薄さなどまったく問題外のようだ。 4時過ぎ最高高度の4500メートルを越え、危険な下り道に入る。運転席の横で目の前の景色に夢中になっていた私は、後部座席のセサルの呼ぶ声で振り返ると、同行のメンバーの大半が車酔いと高山病のためにダウン状態だ。 何人かが「高山病」と「車酔い」で顔面蒼白。中でも高山病の女性陣は相当ひどい症状のようだ。急いで酸素ボンベを取り出し、酸素吸入を始めるが一向に回復の気配が見えない。 こうなったら急いで高度を下げるしかない。しかし、道幅の狭い上に、暗くなり始めた山道は危険で、やたらと急ぐわけにはいかない。それに車酔いの人には速度を速めるのはさらにつらさを増すことになる。 運転手がセサルの義弟リチャルに変わる。ベテランのエースの登場である。大型トラックでの山越えを長年経験しているだけあって、さすがにうまいものだ。目をつむりたくなるような急傾斜のカーブも実に見事なハンドルさばきで、車の揺れを押さえながら高度を一気に下げて行く。 標高が2000メートルを切ると、高山病は快復し始める。今しばらくの辛抱と、励ましつづけながら、高度の下がるのをひたすら待つ。すっかり夜のとばりが落ち始めた6時過ぎ、ようやく難関を脱して、一同一安心する。 出発時間の遅れはなかなか取り戻せず、夜8時過ぎても予定のキャンプ地には着きそうもない。そのため、途中の小さな町で宿を取ることにする。宿と言っても粗末な客室が4室ほどしかない小さなモーテルだ。 部屋数が少ないため、そこには日本からの同行メンバーの一部だけ泊まり、他のメンバーと支援隊一行は車の中で一夜を過ごすことにする。
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ウルバンバ川を渡河し、登りに入って2時間。 |
標高は次第に増し、アンデスの中腹へと |
この辺りから、メンバーに高山病の症状が出始める。 |
標高4000メートルを超す高さで、サッカーに興じる村人たちには、高山病などまるで無縁の世界だ。
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一段と険しさを増す景観、眼下には千尋の谷が広がっている |
A |
B |
峠の頂きに近づくと、万年雪に覆われたアンデスの山々が迫ってくる
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アンデスの主峰 |
下りの途中、家路につく羊の一団に遭遇。 |
およそ6時間のアンデス越えを終えて、高山病が消える標高へとたどり着く。 |