ICAのカブレラ博物館
今回の最も重要な訪問先であるイカ(ICA)のカブレラ博物館に向かって、車は延々と続く砂漠の中のハイウエーをひた走りに走っていた。左右に広がる荒涼とした砂丘はあらゆる植物の生育を拒否しているかのようで、車窓に広がる景色の中に、草木の姿はなかった。
ペルーの首都リマから、南アメリカ大陸を南北に縦断するアメリカハイウエイを走り続けることおよそ4時間、砂漠の中に忽然とオアシスの街イカ(ICA)が見えてきた。イカは400年前にインカを征服したスペイン人の一人であるドン・ヘロニモ・カブレラによって建設された街である。
我々がこれから訪ねようとしている「カブレラ博物館」の所有者であり、館長でもあったカブレラ博士は、彼の直系の子孫であった。あったと過去形で述べたのは、訪ねてみてはじめて分かったのだが、カブレラ博士は1年半ほど前に他界していたからである。
10日ほど前、ペルーに入った我々は、カブレラ博物館の所在先を突き止めるのに大変な苦労をするところとなった。というのは、この博物館はイカ大学で教鞭を執る傍ら、開業医として活躍していたカブレラ博士が自らの診療室の一部を展示室に改良した、あくまで私設の博物館であって、観光案内書やパンフレットに載っているものではなかったからである。
それでも何とかその所在先を突き止めた私たちは、かってカブレラ博士の秘書を長年務めていたエンマ・エルナンデス女史に連絡をとることが出来た。彼女は博士の亡き後、博物館の事実上の館長を務めておるとのことで、こころよく見学を許可してくれた。
イカ市に入った我々は、街の中心街であるアルマス広場に向かった。イカは観光名所ではない。それだけに賑やかではあるが、物売りや観光客目当ての派手な出店がないせいか落ち着いた感じのする街である。彼女から教えられた広場の一角によく目につく黄色の建物があり、そこが我々の目指しているカブレラ博物館であった。
我々が館を訪ねた時刻は昼の1時をまわっており、館は昼休みのため閉館中であった。しかし彼女の自宅に電話を入れると、すぐに行くから待っていてということで、館の入り口で待つこと十数分、白髪の交じった、年の頃70歳代の上品な女性が現れた。彼女がエルナンデス女史であった。
時間外の訪問をわびる我々に、遠路よく訪ねて下さったと優しく微笑みながら、「ここにあなた方がお目当ての品々が展示されています。どうぞ心ゆくまで見学していって下さい」と、案内してくれる彼女について館内に入った我々が、先ず圧倒されたのは、そこに展示された大小さまざまな石の数であった。
驚愕の線刻石
館内に展示された石の数はどのくらいになるのですか?
まっ先に訪ねた私の質問に彼女は5000個ほどですと、こともなげに答える。この数の多さに度肝を抜かされた我々は、それらの石に描かれた驚愕的な線刻絵図を見るに及んで、更なる愕きに出くわすこととなる。
彼女が指し示す大小の石に刻まれた線刻模様を眺めているうちに、私は遙かな過去、「太古の世界」に誘われていく自分を感じていた。そこには、さまざまな動物の絵、それも遠い昔に絶滅し、今では恐竜図鑑や恐竜博物館でしか見ることの出来ない、多くの恐竜の姿が克明に描かれていた。
背中に2列に並んだ剣盤(板状の骨)がはっきりと分かるステゴザウルス、巨大なキリンを彷彿させる長い首と巨大な胴体のプロントサウルス、頭に三本の角を持ったトリケトラプス、肉食獣といわれるティラノサウルス
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棚や床の上に無造作に置かれた石に刻まれたこれらの絵を眺めていると、そこはまさに映画「ジェラシックパーク」の世界であった。
個々の石には、一つ一つの恐竜の姿が描かれているだけではない。恐竜と人間との共存を裏づけるように、プロントサウルスと思われる恐竜の首を切り取る恐竜狩りのシーンや、ティラノサウルスに頭をくわえられた人間の姿など、まさに映画もどきの情景が描かれている。
一体これらの石は誰によって描かれたのだろうか?
学者が説くところでは、イカの石に描かれた恐竜たちが生存していたのは、今からおよそ2億4000万年前から6500万年前の古生代から中生代と呼ばれる太古の地質時代である。一方、人間の遠い祖先がこの世に出現したのは、せいぜい500万年前、現代人類の形態を持ったホモ・サピエンス・サピエンスに至っては、わずか20万年前のことである。
6000万年以上もの遙かな年代の隔たりがあるのにもかかわらず、人間と恐竜が共存したかのように描かれているのは、一体どうしたことだろうか? 学者が説くように、もしも恐竜が中生代末期の白亜紀に絶滅していたとするなら、その生きた姿を人間が見ることはなどあり得ない。
しかし、「事実は小説より奇なり」。あり得ないことが起きているのだ!
イカの石発掘の歴史
そもそも、イカの石が人々の目に初めて触れるようになったのは、1960年代の始めであった。
イカの街はナスカの地上絵で有名なナスカ地方からおよそ200キロほど北に位置する荒涼とした「オクカヘ砂漠」の真ん中にある。
砂漠の中にも、イカ川を始めとするアンデス山脈を水源とする幾本かの川が流れているが、これらの川は、雨期以外は太平洋に到達する前に枯れてしまい砂漠を潤すことはない。そのため、その周囲はほとんど1年中干し上がっており、緑の草木を目にすることはない。
このイカ川が1961年、アンデス地方に降った数十年ぶりの大豪雨によって氾濫し、辺り一帯が水浸しになった。突然の増水は大奔流となって砂漠の砂を海へと押し流し、イカ川周辺の厚く積もった砂の下の深い地層からさまざまな石が地表へと掘り出されるところとなった。
イカ川の岸辺に忽然と姿を現したこれらの石は、半ば砂に埋まった状態で散らばっており、その中に、不思議な絵が刻まれた線刻石が幾つか混じっていた。これらの石が地元のインディオ農民に発見されたのが、イカ石が人々の目に触れるきっかけであった。
こうして、イカ周辺の収集家や好事家の手に渡った線刻石は、一人の友人を通じてカブレラ博士の手元に届くところとなった。大きさが20センチほどの安山岩で出来た線刻石は、しばらくの間、カブレラ博士の机上で患者の処方箋を止めるペーパーウエイト(置き石)として使われていた。
しかしある日のこと、石に刻まれた鳥の姿に目がいった博士は、その鳥が神話に出てくる動物に似ていることに気がついた。そのことが気になった博士は、暇を見つけては神話に登場する鳥の資料を集め、石に刻まれた鳥の姿と突き合わせてみた。
その結果に、博士は当惑するところとなる。その姿は、まぎれもなく1億4000万年から8000万年前に棲息していた、翼竜だったからである。 ・・・・・・・・・・・・・
次回へつづく