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オアハカの街パレンケのホテルを早朝に発った一行は、再びビジャ・エルモッサエルに戻り、飛行機でオアハカ州の州都であるオアハカへ向かう。市の郊外にあるサポテカ民族の古代都市、「モンテ・アルバン」遺跡を訪ねるためだ。 オアハカは、マリファナとD・H・ロレンスで有名な街である。ロレンスは1920年代に小説「翼ある蛇」をここで書いている。「翼ある蛇」つまりケツァルコアトルやククルカンはメソアメリカの多くの遺跡に登場するが、オアハカの街こそ「翼ある蛇」を書き上げるのに、もってこいの街の感じがした。 オアハカは「街並み」そのものがユネスコの「世界遺産」に指定されているだけあって町全体が落ち着いていて、16世紀の雰囲気を今に伝えている。ネオンサインと電柱が一切ない街並みを歩いてみると、文明化の象徴のようなネオンと電柱がいかに美しい街並みを汚しているかを実感する。 我が国でも東京のミニ版ばかり造らずに、特徴のある美しい町造りに少し知恵をしぼったらどうだろうか。 現在、オアハカとその周辺には、メキシコでインディヘナが最も多く住んでおり、サボテカ族など16の部族が暮らしている。その中でも、古代都市モンテ・アルバンを築いたサポテカ民族は、その話し方がなぜか日本語によく似ていることもあって、日本人に非常に親近感を持っていると言われている。確かにサント・ドミンゴ教会の前の広場で会った少年たちも私が日本人だというと、「ヤーパン」「ヤーパン」と言って親しみを込めてそばに寄ってきた。 一方、オアハカは、野生のタイマが植生しているためか、マリファナについては芳しくない評判の多い地でもある。現に、オアハカと遺跡を往復する途中、軍隊が出動し、麻薬犬を使ったおおがかりな検問に遭遇した。 マリファナとは関係がないが、遺跡からの帰り道、現地のガイドさんから驚くような話を聞かされた。この地方の一角に、現地の人が「カラス人間」と呼ぶ特殊な人種が住んでいるという。彼らには体毛が一切ないだけでなく、皮膚に発汗作用が働かないため、1日に何回か水浴をしないと生きていけないのだという。 更によく聞いてみると、彼らの歯はほとんどが犬歯のように先が尖っているというのだ。何とも奇妙な種族だが、現在ではわずか数十人にまで減少してきており、特別の保護措置が施されない限り数十年で種が途絶えてしまうことは間違いなさそうである。それにしても奇妙な人種である。
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| オアハカのホテル
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16世紀に造られたコロニアル風の建物が残された街並みは落ち着いた雰囲気で、メキシコの他の町とは趣を異にしている。
旅行者が多い町だけあって、しゃれたカフェテリアやレストラン、お土産店なども多いく、一行の女性陣は腰の休まる間がないようだった。 |
オアハカのソカロ(都市の中心にある公園)も、他のメキシコの多くの都市と同様、その周りにはカテドラル(教会や修道院)や州庁舎などの重要な建物が、ぐるりとそれを取り囲むように集まっている。
家族連れで賑わう親子の中に、とっても可愛らしいインディヘナの姉妹がいた。彼女たちも偉大な都市モンテ・アルバンを造ったサボテカ族の末裔だろうか。 |
サントドミンゴ教会の前にある広場で遊ぶ学生風の少年(高校生ぐらいだろうか)に声をかけると、どこから来たのか聞かれ,Japanと答えると、ヤーパン,ヤーパンと言って親しそうに集まってきた。
我が国の少年に比べるとずっと素直な好感の持てる子供たちであった。 |
スペイン語で「モンテ・アルバン」は「白い(花の咲く)山」という意味だそうだが、遺跡に登る丘の途中にカサワラの白い花が咲いていた。 |
モンテ・アルバンはサボテカ語で「聖なる山」と呼ばれているところからすると、サボテカ族の一大祭祀(宗教)センターであったものと思われる。
南北300メートル、東西200メートルの長方形の大広場を囲む形で造られた神殿ピラミッドや球技場、宮殿などの建造物はそのいずれもが現在は基壇部分を残すのみであるが、それでもその規模と壮大さには文字通り圧倒される。 大広場を挟むように、北と南の端には「北の大基壇」と「南の大基壇」が築かれている。写真はいずれも「南の大基壇」の頂上部から眺めたものであるが、手前に見える建物が「天文台」で、その方位が遺跡全体の方位に対して大きくずれていることが分かる。 「北の大基壇」は「南の大基壇」の約3倍の広さがあり、階段の幅だけで38メートルある。階段上にはピラミッド型基壇や神殿跡などの祭祀用複合建造物が残されている。 |
モンテ・アルバン遺跡の特徴は、広大な敷地に千数百年の長期間にわたって断続的に建てられた個々の建造物が、それぞれの特徴を生かしながら全体的な調和を保持していることだと言われている。
その典型的な例が砲弾型(矢じり型)をした「マウンドJ」と呼ばれる建物(写真)である。モンテ・アルバンの遺跡全体は南北に対して数度傾いているが、この建造物はその傾きに対してさらに45度傾いており、その方向は他の建造物に比べて著しいズレがある。 「マウンドJ」はその角度が45度ズレていることから、天体観測に使われたのではないかと言われ、最近では多くの学者が「天文台」説を唱えている。 |
モンテ・アルバンの形成初期に刻まれたと思われる有名な遺物が、南西の角近くにある「踊る宮殿」の前に置かれている。それは「踊る人々」と呼ばれる人物を浮き彫りにした巨石石版である。
これらの石版は「踊る宮殿」の壁面に300枚ほど飾られていた。オリジナルは遺跡の入り口近くにある博物館やメキシコ人類学博物館に保管されており、遺跡に置かれているものはレプリカである。 「踊る宮殿」や「踊る人々」のいわれは。壁面に飾られた石版の人物が踊るような格好をしているところから来ている。「踊る人々」は、一見踊っているように見えるが、それらはほとんど裸で、目を閉じ、口を開けて、性器を切り落とされていることから、拷問にかけられ殺された捕虜たちの姿を描いたものと言われている。 しかし、これらの人々のほとんどが先に「ラ・ベンタ遺跡」で見た黒人とあご髭のある白人と同一の人種に見える。考古学者マイケル・コウもその著書『メキシコインディオとアステカ文明を探る』のなかで、この「踊る人々」の姿にオルメカ文明の特徴を見い出し、サポテカ人の文明をオルメカから発生したものに違いないと述べている。 問題は、オルメカでは指導的立場にあったはずの白人や黒人が何故か捕虜の立場に置かれて辱めを受けている点である。オルメカの遺跡で発見された石版や人頭像に描かれた彼らは偉大な人間として彫られ、神聖な場所に崇拝の対象として飾られていた。 ところがそれから数百年から数千年に経た後に彫られたと思われるこの石像の人物達は、彼らとはまったく別人、別種族の人々のように哀れな姿に変わり果てている。一体これはどうしたことなのであろうか? この点についても、学者は「黙して語らず」である。学者という人種はまことに勝手な生き物であるとつくづく思う。もっとも、学者諸兄は、コロンブス以前に白人や黒人がメソアメリカの地に存在したこと自体が認め難いことであるから、そこから先の説明のしようがないのは無理からぬことである。 |
ミステカ族は、サボテカ民族の去った後のモンテ・アルバンに移り住み、その地を神聖な土地として周りに多くの墳墓を築いた。その中の一つ「墳墓7」には、ミステカ族の王が埋葬されていた。ここから豪華な黄金細工や宝石などの副葬品が多数発見され、現在、オアハカ地方博物館に保管されている。 |
今から千年ほど前に既に脳外科の手術が施されていた。同様の頭蓋骨は、古代インカやエジプトの遺跡からも発見されており、古代人にとって頭蓋骨に穴を開ける脳腫瘍の手術は特別珍しいことではなかったようだ。 エジプトのワークマン・ビレッジで発見された外科手術の痕がある頭蓋骨は、ピラミッドの建造に関わったと思われる紀元前2600年ほど前の人のもので、医学の分野においても古代文明が驚くほど進歩していたことがうかがわれる。(写真は『四大文明』NHK出版より) |