ラ・ベンタ遺跡

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 メリダからビジャ・エルモッサ

 早朝、メリダを発って空路タバスコ州の州都ビジャ・エルモッサへ。次の遺跡探索地はメキシコ湾沿岸のラ・ベンタと中部低地のパレンケである。

 出発前現地のガイドさんから、途中で一つの空港に立ち寄るので、最初の空港では降りないで下さいと、念を押された。そのため1時間ほどで最初の空港に着陸した時には、我々ツアーの一行は後部座席でゆっくり他の乗客が降りるのを眺めていた。ところが、しばらくしたらスチュワーデスがスペイン語で何か言っている。身振りからすると、どうも降りるように言っているようだ。

 しかし、誰もスペイン語がまったく分からないものだから、「Next airport]といって座っていたところ、ガイドさんが慌てて飛んできて「降りてくれ」という。何かトラブルでも起きたのかと、皆不安そうに降り立ってみると、何とそこが目的地ビジャ・エルモッサであった。

 よくよく事情を聞いてみると、今回のフライトは、途中の空港に降りる乗客ががいなかったので、直行でビジャ・エルモッサまで来てしまったと言うことだった。飛行機を電車代わりに使っているお国ぶりが伺える一幕であった。

 ラ・ベンタ遺跡(B・C1200-B・C300)

 オルメカ文明の発祥の地であるメキシコ湾岸沿いの平野部、ベラクルス州やタバスコ州にかけては、サン・ロレンソやトレス・サポテス、ラ・ベンタといったオルメカ文明の有名な遺跡が点在してる。その中にあって「蛇の聖地」と呼ばれるオルメカ文明発祥の地コアツァコアルコスは、近くに油田が発見されたために、メジャーによる石油発掘によって破壊され、今は跡形もなくなってしまっている。

 実は、ラ・ベンタ遺跡にも近年、同様な事態が起きようとしていた。しかし、地元の歴史家カルロス・カマラの強い抵抗と政治家へのねばり強い働きかけによってラ・ベンタは石油発掘者の毒牙から逃れ、現在も遺跡は保護されている。

 そのお陰で、三つの巨石頭像をはじめ50のオルメクの記念碑的彫像がアメリカ人の考古学者マシュー・スターリングらによって発掘され、現在その多くが、ビジャ・エルモッサの郊外にある「ラ・ベンタ屋外博物館」に保管されている。我々はそこで、メソアメリカ最古の文明の貴重な発掘品を見学できるようになっている。

 ラ・ベンタの遺跡はビジャ・エルモッサから80キロほど離れているが、屋外博物館は空港からわずか15分ほどの距離で、バスはあっという間に到着した。

 この地方は、河川や沼、池が多いためか蚊が多く、公園内の探索には蚊よけ対策が必需である。ガイドさんから薄い上着だとその上からも刺されますよと脅かされて、体中まんべんなく虫除けスプレーを吹きつけてバスを降りた。我々は、そこでカマラやスターリングといった偉大な先人たちの努力で残されたオルメカ文明のまさに驚愕すべき遺物を目の当たりにすることになる。

 オルメカ文明の詳細は、後日掲載するメキシコ探索:レポート編A 「オルメク文明の謎」でご覧下さい。

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 ラ・ベンタ屋外博物館入り口

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 男性群像

翡翠(ヒスイ)で作られた16体の男性群像は、人々が集まって何か相談事をしているように見える

それにしても不思議なのは人々の顔形である。彼等の顔は、このページの写真8,10,12に登場するオルメカ人の神官や王と比較してみるとよく分かるように、それらの顔とはまったく別である。

16体の全ての顔がメソアメリカの先住民だけでなく、地球上のいかなる国の人種にも該当しない何とも奇妙な顔をしている。

しいて類似する人間を捜すなら、イースター島の立像アモイであろうか。
でも、アモイよりもっと異常な顔立ちをしている。特に頭部が異常に盛り上がって長いのが特徴的で、人類とは系統を異にする異人類のように見える。

彼らはオルメカ文明に先立つ「先史文明」の人々であろうか? それともオルメカ文明に関わり合った「異星人」的な存在であろうか? 「詳細レポート」に登場するウムランド兄弟の「マヤ=宇宙人起源説」を彷彿させる。

 

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 蛇の中の男(機械仕掛けの神)

羽根のある蛇、つまりケツァルコアトルの中に身をかがめた一人の男が両足を投げ出して座っている。学者は「頭飾りをつけ香袋を手にして、羽根を持つ蛇に取り囲まれたオルメカ人の姿だ」という。

そんな先入観を持たずによく見ると、頭に何か機械をつけ、そこから口元にかけてまるで携帯マイクのようなものが延びている。右手は両足の間に挟まれた機械箱のようなものを握り、左手はサイドレバーに手をかけている。

腰には三本のシートベルトが巻かれて身を固定し、さらに、頭の上には操縦盤のような機械類がセットされているように見える。

「羽根を持つ蛇」の内部を描いたとされるこの浮き彫り彫刻は、どう見ても、船か飛行機か宇宙船のコクピットのようにしか見えない。

ケツァルコアトルは太古の時代、未だ原始的な生活を送っていた先住民の前に忽然と現れて、メソアメリカの地にマヤ、オルメカ文明をもたらした偉大な人物として、彼等の古い伝説や神話に頻繁に登場する人物である。(詳細レポート「ケツァルコアトルとククルカン」を参照)

伝説が伝えるところによると、彼とその仲間がメキシコ湾に現れ、またしばらく年を経た後、その地を去って行ったときに乗っていた船の胴体に蛇の鱗(うろこ)が描かれていたという。

そこからケツァルコアトルを「羽根のある蛇」という奇妙な名で呼ぶようになったのであるが、このようなケツァルコアトルの語源を知る人なら、ラ・ベンタ遺跡から発掘された「蛇の中の男」の彫像が、ケツァルコアトルたち一行が乗っていた船の中の操縦室の一部であることを想起するに違いない。

これとよく似た遺物が次のパレンケの遺跡にも登場する。

写真は(上)が、ラ・ベンタ博物館に展示されているものだが、これはレプリカで、堅い花崗岩で出来た本物(下)はメキシコシティーの人類博物館オルメク室に展示されていた。大きさは、幅1.2メートル、高さが1.5メートルほどである。

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ラ・ベンタ屋外博物館

 

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国立人類学博物館
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 謎の人物像(歩く男の像)

直系が1メートルほどの丸い石版に刻まれた「謎の人物」(写真上)について、考古学者は未だ明確な説明が出来ずにいる。

しかし、神話が伝える「あご髭を持ち長いロープをまとい、腰ひもを結んだ西洋人風」のケツァルコアトルの容貌は、「謎の人物像」に生き写しである。

ぴったりとしたズボンを履いてあご髭をはやし、後ろに垂れた奇妙な帽子をかぶって、左手に旗か武器のようなものを持ち、腰に布紐を巻いた男の顔は、紛れもなく西洋人だ。

石柱に刻まれた人物像もよく似た姿をしており、腰にベルト状の物を巻いている。(写真下)

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 アンクル・サム

1940年代にラ・ベンタを発掘したアメリカの考古学者マシュー・スターリングの数多い発掘物の中で最も驚くべきものが、この写真のあご髭を持つ男の石版である。

スターリングが掘り起こした岩は、高さが4.2メートル、幅2.1メートル、厚みが91センチもある巨大な石碑で、かって表面には数体の人物像が浮き彫りされていたようであるが、現在では、写真(下)の人物しかはっきりとは確認できない。

グラハム・ハンコックは、『神々の指紋』のなかで、「背が高く、ロープに身を包み、つま先が上を向いたきらびやかな靴を履いた二人の人物が対面している姿が描かれている」と述べているが、私の撮影した写真からは、向かい合う一人はほとんど識別できないし、片方の人物も上半身しかはっきりとは分からない。

それでも残された人物像の上半身は鮮明で、大きな目と、高い鼻を持ち、長いあご髭をはやした人物は、紛れもなくアングロ・サクソン系の白人であることが確認できる。

紀元前1200年ごろの遺跡から発掘された白人像を見て驚いた考古学者は、この人物に「アンクル・サム」と命名はしたものの、人物についての説明は出来かねているようである。頭の固い学者たちには、「アンクル・サム=ケツァルコアトル」説は素直に受け入れられないのであろうか。

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 神官(王?)の像

背後に死のシンボルといわれる高貴な肩マントを羽織っている。
人物が神官であるか時の支配者(王)であるかははっきりとしていない。

    

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 オルメカのワニ

大地の神と考えられているワニを表している。

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 祭壇

側面にぐったりした子供を抱く神官の絵(写真下)が描かれていることから、幼児生贄の祭壇ではないかといわれている。

メソアメリカの文明はマヤ、アステカをはじめ、ほとんど全ての文明、全ての時代を通じて「人身供養」というおぞましい宗教儀式が行われていた。オルメカ文明も例外ではなかったようだ。

伝説によると、文明化される以前のオルメカにやってきた偉大な指導者、ケツァルコアトルは、人々に火を使って料理する方法を教え、一組の男女が夫と妻として一緒に生活することを教え、喧嘩が絶えなかった当時の人々に、平和に生きることを教えたという。

そのケツァルコアトルが最も忌み嫌ったのが、人身供養だった。ケツァルコアトルは戦争や生け贄の話を聞くといつも耳をふさいだという。それ故、彼の存在した時代は一切の人身供養は堅く禁じられ、代わりにカタツムリや蝶や、鳥たちが犠牲に供されたことが語られている。

しかし、ケツァルコアトルがオルメカを去った後、いつしか生贄の儀式は復活されて、血をまき散らす儀式はしだいに荒々しさを増し、メソアメリカ最後の文明アステカにおいて、最も頻繁に行われるところとなるのである。

 

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 オルメカヘッド(巨石人頭像)

ラ・ベンタ遺跡の盛り土の中から世界的にも希な4個の巨石人頭像が発見され、公園内に展示されている。発見された人頭像の数はサン・ロレンソ遺跡のものなどを含めると、全部で17個にもなる。

それらは、なんと100キロも離れた山からジャングルを運ばれてきた玄武岩で彫られている。最大なものは、高さは2.7メートル重さは50トンを越している。我々はインカ、エジプトに次いで、ここでもまた巨石運搬の謎に出くわすことになる。

顔形から、彫られた人物はそれぞれ別人と思われるが、全ての像に共通している特徴は、四角張った顔、大きな目、押しつぶされた鼻、厚い唇などであるが、さらに奇妙なことに、頭部にはアメリカン・フットボールの選手がつけるようなヘルメットをかぶっている。

これらの人頭像は、一般的には支配者の肖像といわれているが、この人頭像を見た人は、誰でもアフリカ系ニグロイドを思い浮かべるに違いない。だとすると、オルメカ文明の支配者はマヤ族などのモンゴロイド系先住民とまったく異なる人種であったということになってくる。

しかし、同じ遺跡から発見された神官や王の像は、モンゴロイド系の顔をしており、ニグロイド系の人々とは明らかに異なっている。この二つの矛盾した事実を解き明かすには一つの考え方しかないように思われる。

それは、人頭像はオルメカ文明の遺産ではなく、彼らの文明より遙かに古い「先史文明の遺物」だったとする考え方である。つまり、オルメカ人は人頭像の製作者ではなく、継承者に過ぎなかったわけである。

後代のアステカ人たちが、自分たちの文明に先立つマヤ・オルメカ文明の遺物を、古い時代の神聖な遺産としてピラミッドや王墓の中に残したのと同じように、オルメカ民族も、彼らの文明が始まった時には既に、過去の文明の面影を残す遺物となっていたニグロの人頭像を、遠い祖先の残した偉大な遺産として丁重に埋葬したことは、十分に考えられることである。

我々はペルー探索の折り、「天野博物館」でアフリカ人やヨーロッパ人の特徴を鮮明に表した様々な人型土器を見て驚かされたが、これらの土器の存在とあわせて考えると、我々の想像を遙かに超えた、驚愕すべき「先史文明」の存在が現実味を持って迫ってくる。

記憶喪失者が過去の自分と深い関わりがあったものに接すると、何故か分からぬままに強く心を揺さぶられるというが、我々も歴史の彼方に去ってしまって、記憶からすっかり消えてしまった遠い先祖の遺産に出くわすと、遙かな過去への追憶の念に胸が締めつけられるような衝動に駆られる。

これは人類が集団的記憶喪失症候群にかかってしまっているからではなかろうか。きっと脳の深いところには遠い過去の記憶が鮮明に残されているに違いない。

あご髭を持ったアンクル・サムやニグロイド系の巨石人頭像を眺めながら、私は、インカやマヤ・オルメク、さらに古代エジプトの歴史より遙かに古い先史文明の存在を強く感じていた。

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老人の顔

 

 

 

 

 

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成人の顔

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 天空を見上げる猿の像

ガイドは猿の像と説明していたが、よく見ると。アフリカ系ニグロイドの顔だ。

像を見ていると、集団的記憶喪失症候群にかかった人類が、すっかり忘れてしまった歴史の彼方を仰ぎ見ている姿に見えてしかたなかった。

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 コアティの親子

コアティのような動物の方が、遠い過去の歴史の真実を知っているのかもしれない。

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