王家の谷 @

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王家の谷

   

新王国時代になると、ファラオ(王)たちは盗掘者の手から逃れるために、「王家の谷」と呼ばれる奥深い谷に、死後の安住の地を次々と求めていった。しかしながら、金銀財宝を狙う盗賊の手から逃れることは出来ず、ほとんどの王墓が略奪の憂き目に遭った。
 
その中で唯一残されたのが、かのツタンカーメン王(在位B・C1361−1352)の墓であった。
 
10歳で在位したツタンカーメン王は、若干18歳で早世したため、権力基盤が弱かったはずである。それでありながらその墓から発見された多くの副葬品は輝くばかりで、エジプト考古学博物館の2階の間の半分を占めているほどである。(埋葬品の写真はエジプト考古学博物館のページに展示)だとすると、ラムセス三世やトトメス三世などの強大なファラオの墓の埋葬品の豪華さは、想像もできないくらいである。



    
  写真説明

  @ 
ナイル西岸の王家の谷T

 


  A 王家の谷U  

1922年、ハワード・カーターらによって有名なツタンカーメン王の墓が発掘された。墓の内部は撮影禁止のため写真はないが、見た感じでは、まわりの王墓に比較して小規模であった。
     
発掘された埋葬品や有名な黄金のマスクなどは、「エジプト考古学博物館 @」の頁でご覧いただく。

    

  B 
墓への入り口

 

 

 

  C 墓の内部T

セトナクト王によって造営が開始されたが途中で放棄された。その後、その息子ラムセス三世(B・C1182−1151)が完成し、結局は彼の王墓となった。


  D 墓の内部U

アメンホテプ2世(B・C1453−1419)の王墓。ハトホル女神(右側) とアメンホテプ2世。

 
 

  E 墓の内部V

     トトメス3世(B・C1504−1450)の王墓。
  


 

   F 墓の内部W

 

   
 

     G ハトシェプト女王の葬祭殿

王家の谷に隣接する、新王国時代の第18王朝期のファラオ、
ハトシェプト女王(B・C1498−1483)の葬祭殿。ここで数年前、ゲリラの襲撃により、日本人観光客 も大惨事に巻き込まれたことは、記憶に新しい。


    H 葬祭殿のレリーフ

ハトシェプト女王葬祭殿二階にある生誕殿柱廊の壁画レリ-フ。

 

 

 I メムノンの巨像

アメンホテプ3世(在位B・C1386−1349)の巨大な座像で一対になっている。王家の谷の山の前に作られたアメンホテプ王の葬祭殿の一部であったが、今は高さ21メートルの像のみが残されている。
 

 J ナイルの夕暮れT

王家の谷からルクソールのホテルに戻ってきたとき、ちょうど日没で西の空が夕日に染まった素晴らしい景色をカメラに収めることができた。

    

J ナイルの夕暮れU

 

@王家の谷T.jpg (37496 バイト)

A王家の谷.jpg (40577 バイト)

B墓への入り口.jpg (28270 バイト)

C墓の内部T.jpg (32051 バイト)

D墓の内部U.jpg (42317 バイト)

E墓の内部V.jpg (52459 バイト)

F墓の内部W.jpg (42294 バイト)

Gハトシェプト女王葬祭殿.jpg (43130 バイト)

Hhatoshe2.jpg (42944 バイト)

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J落日のナイル(ルクソールのホテルからの展望)T.jpg (55039 バイト)

K落日のナイル(ルクソールのホテルからの展望)U.jpg (27932 バイト)