@ 大ピラミッドの近景(北側より撮影)
右側1/3の高さの所に正式な入り口がある。(現在使用されていない)
A 大ピラミッド内部への二つの入り口
9世紀(B・C815年)に、アラビアのカリフ、アル・マムーンがダイナマイトで爆破して開けた時の入り口(通称「マムーンの穴」)が、正式な入り口の右下(二人の男が立っている)に見える。
新王国時代(B・C2100−B・C1200)に、ラムセス二世によって塞さがれたとされる入り口は、その後時代の経過とともに、人々の記憶から忘れ去られ、9世紀当時は、知る人間は皆無であったようだ。
B マムーンの穴(現在使用されている入り口)
C 大ピラミットに僅かに残された土台と外壁の化粧板
このような化粧板(板と言っても、厚さは2.4M)で全体が覆われていた時のピラミッドは、天を突く巨大さに圧倒されるだけでなく、神秘さと威厳に満ちた、荘厳なまでの美しさがあったに違いない。
D 大ピラミッド北面の下段
一つ一つの石の巨大さが、観光客との対比でよくわかる。
E 第二ピラミット(カフラー王のピラミットと言われている)
頂上部分に一部化粧板が残されている。
F 第二ピラミットの東側の神殿の跡(後方が第二ピラミット)
私の立っている右側の多面体の石灰岩は、重さが460トンを越える。
こんな巨石をどうやって切り出し、運び、設置したのだろうか?
因みに、現代の最大の起重機は200トンの重さの物を持ち上げのが限度だと言われている。
それも世界にたった二台しかないそうで、その起重機たるや、腕の長さは67メートルもあり、ひっくり返りを防ぐために、反対側になんと160トンの重りを置いてバランスをとらねばならないということである。
そんなことを考えていると、神官や魔術師が「呪文」をとなえて、軽々と巨大な石を浮かせたという古代エジプトの伝承や、巨石は「トランペット
の音とともに」、空中を運ばれたというペルーの伝説が事実の一端を語っているように思われてくる。
G アレキサンドリアの遺跡で遊ぶ猫の子
我が家のチロによく似た二匹の可愛い子猫と遊んでいるうちに、カタコンベ遺跡を見損なってしまった。
H お馴染みのスフィンクス像
スフィンクスは、第二ピラミッドを建造したカフラー王によって作られたものと言われている。しかしこの説には大いに疑問があり、アメリカの地質学者ロバート・ホーバルによって、その建造時期が数千年さかのぼる説が発表され注目されている。(詳細はピラミッドとスフィンクス参照)
I クフ王の小座像(カイロにある「エジプト考古学博物館」に展され
ている)
ピートリーがギザの南500キロのアドビスで発見した象牙彫りの10セン
チ程の極めてちゃちな像で、クフ王の像とされているが、確たる裏付けがあるわけではない。
十万人の労働者を二十年間にわたって働かせ続けたほどの、比類無き秩序と統制のとれた時代のファラオの像としては、あまりにお粗末過ぎはしないか。
それにしても、後にも先にも、クフ王の像と言われるのはこれしか無いのは不思議なことである。
J 第一ピラミッド東壁に立つ私
一つ一つの石の大きさに注目して下さい。