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「三大ピラミッド」と「河岸神殿」現地の絵葉書に写っているのと同じような三大ピラミッドを綺麗な角度で捉えた写真を、なんとしても撮りい衝動に駆られ、風邪でサハラ砂漠行きを断念しホテルで休んでいた午後、タクシーを呼んで三度目のギザ行きと相成った。 |
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@ 三大ピラミッドを西南の台地から眺める 写真左側から第一、第二、第三ピラミッド。この角度からだと三基のピラミッドをワンフォットに納めるのは難しい。 砂漠の中の移動は、馬かラクダに頼ることになるが、やはり砂漠には、ラクダが似合う。
英語はけっこう上手にしゃべる。彼の得意とする日本語は、誰が教えたのか、「山本山」と「ジャンボ尾崎」。 C 三大ピラミッド 三基のピラミッドを、念願の「絵ハガキ」並みのアングルで撮影できた。出来映えは、絵ハガキにはほど遠い。 D ラクダと私 E 河岸神殿入り口 ここでも200トン近い巨石が使われており、どうやってこんな重いものを持ち上げ、並べていくことが出来たのか正統派のエジプト学者に教えてほしいものだ。
G 神殿の内壁 石組みされた当初の石灰岩は風化しており、ある時期に大々的な補修工事が行われ、風化した原石を新しい花崗岩が覆っているのがよく分かる。(石灰岩はスフィンクスを彫った時のもので、薄い花崗岩はアスワンから掘り出してきたものである) 実は、ここに河岸神殿とスフィンクスの建造時期を探るヒントが隠されている。 だとすると、スフィンクスと河岸神殿の建造の時期はクフ王やカフラー王の時代より遙かに古い時代ということになってくる。何故なら、最初 の神殿の石灰岩が写真に見られるように、劣化し風化するのには、数千年の歳月が必要であるからである。 現に、ギザ周辺に住む村人たちに伝わる伝承も、大スフィンクスはカフラー王より少なくとも5000年は古いという。 しかしながら、「インベントリー石碑」に書かれている内容は、正確なものではないというのが、エジプト学者の大方の意見である。何故なら、石碑に刻まれた内容を正しいものと認めてしますと、ピラミッドやスフィンクスの建造の時期が数千年もさかのぼることになり、彼等が唱える古代エジプトの年代譜が根底から覆されることになるからである。 雨水による浸食の後と思われる縦縞の溝が鮮明に見られる。 Gで述べた、「インベントリー石碑」の記載内容を地質学的見地から裏付ける研究者が現れた。アメリカの新進の地質学者であるロバート・ショック博士である。 ショック博士は、スフィンクスや河岸神殿の壁に刻まれた縦縞の溝に着目し、この溝は長期間にわたる大量の雨水による浸食作用によって出来たものだと断定し、その建造時期をB・C8000年からB・C10000年位前までさかのぼるべきだと主張している。 ギザ台地をはじめエジプトの地に雨期があったのは、B・C10000年からB・C5000年頃だということが古代気象学で、ほぼはっきりしており、従って、スフィンクスや周りの壁面に刻まれた1メートルから2メートルに達する溝の深さから推定すると、建造の時期は少なくともB・C8000年より以前でなければならないというのが、博士の考えである。
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