|
|
|
|
大ピラミッドの内部いよいよ、このページでは大ピラミッドの内部に入って行く。 更に不思議なことは、通路や部屋には一切明かり取りなどないのに「すすの跡」が全くないことである。建設当時にしろ、完成後にしろ真っ暗闇のなかでは何もできない。松明などの照明を相当量使用したはずである。だったら、当然壁や天井にはかなりのすすの跡が残っていなければおかしいではないか。 |
|
@ スフィンクスと第一・第二ピラミッド(東側のやや低地からの展望) 三大ピラミッドは、ギザの街から50メートルほどの高台にあるギザ台地の岩盤の上に、ほぼ東北から南西に向けて第1、第2、第3に順に並んで立っている。 第一ピラミッドは「クフ王のピラミッド」、第二ピラミッドは「カフラー王のピラミッド」、第三ピラミッドは「メンカウラー王のピラミット」と呼ばれている。 規模が一番大きく(高さ147M、外周の一面230M)、内部の構造も複雑になっているのが、第一ピラミッドで、通称、「大ピラミッド」と呼ばれている。 クフ王、カフラー王、メンカウラー王の三人のファラオは、エジプト古王国 時代の第四王朝(B・C2613ーB・C2498)のファラオとされているが、三大ピラミッドが彼等によって建設されたという、直接的な証拠は未だ発見されていない。 事実、どのピラミッドの玄室の石棺からも、三人のファラオのミイラはもとより、彼等の遺品や金銀財宝の埋葬品は一切の発見されていない。 つまり、百科事典や歴史書に、あたかも既成の事実であるがごとく書かれている「ピラミッド=王墓」説は、実は、二、三の甚だあやふやな状況証拠から推測されたものに過ぎないのである。 A マムーンの穴 アル・マムーンが820年に火薬を用いて第一ピラミッドの内部へ 侵入を計った時の入り口(「マムーンの穴」)を内部から眺めたもの。 ここから、「大ピラミッド」の中へと入っていく。
B 上昇通路 「女王の間」の通気孔は、奇妙なことに設計者によって巧妙に隠され塞がれており、1872年にウエインマン・ディクソンによって発見されるまでその存在が知られていなかった。 発見された通気孔は、王の間のそれと違って、ピラミッドの外部に貫通していなかった。ピラミッドの建造者は、一体なぜ外部に通じない孔をわざわざ作り、しかもそれが人の目に触れないように口をふさぐなどということをする必要があった のだろうか? 部屋に入って正面(南側)の通気孔は、傾斜角45度で、オリオン座のベルトの三つの星を指し、北側の孔は32度28分の角度で北極星を指している。ただしそれぞれの孔が指す星は、地球の「歳差運動」(周期2万5900年)によって時代ごとに変わってくる。
そのとき、王のミイラが発見されていたらピラミッドの謎の半分は氷解していたに違いない。しかし、そのときマムーンが見たものはネズミ一匹いない全くの空の空間であった。 写真で見るように、石棺の左手前が大きく削り取られている。これは、
|
A
B
C
D
E
F
G
H
I
J