グアテマラ・テレビ撮影の旅 A


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アンティグアへ
 

グアテマラシティーから車で1時間ほど走ると、スペイン植民地時代から1773年まで首都であった古都「アンティグア」に着く。そこもまた標高1500mの高地で1年中涼しく過ごしやすい街である。その街並みは1979年に世界遺産に登録され、グアテマラを訪ねる観光客がまっ先に訪ねる ところである。

長い間スペインの植民地で あったために、街並みはメキシコの田舎町によく似ており、コロニアル風の建物や敷石の街並みが美しい。ただ、この石畳は所々凹凸が激しく、見た目は風情があって お洒落であるが、車は揺れる上に、歩くと硬い石のため少々歩きにくい。

街中の瀟洒(しょうしゃ)な建物にはスペイン系の人々が住んでおり、先住民のマヤ人は郊外へと追いやられ、この町には物売りにやってくるだけである。そうした 現状を見ると、征服者と被征服者との格差は今もなお歴然として存在し続けており、先祖伝来の土地を奪われた先住民の貧しい暮らし向きは、500年の歳月を経た今も一向に改善され ないままであることがわかる。

そう思って街並みを眺めていると、カラフルでパスカル調な建物の裏には、何か歴史の残酷さや醜さが押し隠されているように思えて きて、考えさせられてしまう。建物の前に腰を下ろし、物思いに耽っている行商人の母と子の姿が、その思いを一段と強くさせる。

征服直後に発生した大地震、その後も続く1917年、1978年の大震災によって、再建するたびに多くの教会が崩壊し、そのうちの幾つかは現在も なだ修復中である。町中を散策しながらそんな姿を眺めていると、長大な歳月、保持してきたマヤ人たちの宗教を無理矢理キリスト教へと転換させ、信仰の自由を奪ったローマ教会への強い怒りが、 そこに見え隠れしているようである。

そんなアンティグアで私たち取材班が泊まった宿「ポサダ・デ・ドン・ロドリゴ」は、かってのスペイン提督の館だった建物で、その家族や使用人が利用していた 個室が、今は宿泊客の部屋 へと様変わりしている。

屋敷の中央にはかなりの広さをもった中庭が2カ所あり、その一角で、マヤ系の親子がマヤの伝統的なウイピルやカラフルな刺繍付き織物などを織りながら 販売していた。テレビで知花さんや小堺さんたちが、手織りの布を手にとって眺めるシーンが出てくるが、その布は、この親子の織ったものである。

庭に咲く花はどれも皆トロピカルで、南国情緒を醸し出している。午後の3時から4時頃になると、突然辺りが暗くなり、南国特有のスコールがやってくる。我が国で言う集中豪 雨であるが、ほんの20分ほどで止んでしまうので、被害が出ることはない。

テレビの取材を兼ね、郊外にある「十字架の丘」と呼ばれる小高い丘に登ってみた。そこには大きな十字架が立っており、アンティグアの街並みを一望 することができる。向かいそびえる富士山によく似た山はアグア火山である。ただ、この観光名所には日中でも強盗が出没するようなので、外国人が少人数で行くことは避けた方がよさそうである。

 

 

 
 


十字架の丘からはアンティグアの街が一望できる

 

 

 



 


石畳が続く古都の街並み
 

A

B

 



 


ホテルの中庭
 

中庭の一角でウイピル
を織る親子

3時過ぎると、一瞬にして暗く
なり滝のような雨が降る

 



 


中庭に咲くトロピカルな花々
 

A

B

 

 

 

 

 

 

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