マヤ先住民・キチェー族一家を訪ねる
ドン・アレハンドロの奥様エリザベスに案内されて、チチカステナンゴの近くの村に住むキチェー族の一家を訪ねた。この家の母親
トーマス・ポル・スウィーさんとその娘さんは薬草の専門家らしく、住まいの別棟に、大きな瓶に入った100種類もの薬草が展示されていた。我が国でいう漢方
薬局屋さんのような存在である。
家にお邪魔していると、お母さんの携帯に頻繁に電話が入り、聞いていると、体調が悪いのでどんな薬草を煎じて飲んだらいいのか聞いてきているようである。
先住民たちは、今でも自然の薬草を頼りにしており、彼女がその大切な相談相手であるかがよく分かる。
また、二人は一方でシャーマンでもあり、今日は私のために祈りのセレモニーを行ってくれるという。家から車で10分ほど走った小高い山の中が今日の祭祀の場。この山の中には幾つかの祈りの場があるようで、今日は私のために祈るのに一番適した場所ということで、松林の中の小さな祭祀場に案内された。
この祭祀場に立ってまっ先に感じたことは、なんとも言えないすがすがしさであった。ペルーやエジプトなど海外の多くの祭祀の場に立ってきた私であるが、こんなに気持ちのいいすがすがしいを感じたのは初めてであった。考えてみれば、祭祀場とはこうでなくてはおかしい
だ。すがすがしさ
を感じられないような場所に高貴な神が降臨するはずがないからである。
お二人は祭祀場の周囲にたまった木の葉を箒(ホウキ)で掃いて綺麗にした後、祭祀用の石段に色とりどりのロウソクを立て、祈祷の前の挨拶をする。次ぎに
地面に砂糖で白い円形を描き、その中に供え物、ロウソク、木片などを置いていく。その後、少し祈りの言葉が続いた後、いよいよ点火である。仕事熱心なカメラマンの岡部さんも、この時だけは
カメラを回すことが出来ない。神が降りてこられる瞬間だけは撮影を禁止されているからである。
祭祀の最中、お母さんと娘さんから発せられるキチェー語は、前回書いたように我々にはとうてい真似することが出来にくい独特の発生言葉である。ドン・アレハンドロもキチェー族であるので、奥さんのエリザベスは勿論キチェー語には堪能である。
彼女と親子の会話をお聞きしていると、キチェー族の何千年、何万年の歴史が伝わってくるようである。
およそ1時間半に及ぶセレモニーを終え、なんとも言えない爽快な気分になった。今まで色々な人に祈ってもらったことがあったが、何か今回は特別の感じがしてならない。
残された撮影の日々が順調に進むのが感じられて嬉しかった。気分爽快で山を下り、彼女たちの家にお邪魔することにした。
彼女たちの家は今の日本ではめったに見かけることのないような、簡素な建物であるが、その場の雰囲気が最高である。家というものは見てくれでなく、そこに住む家族一人一人の心の通いがいかに大事かということを感じさせられる。物質欲や執着心からほど遠い二人の親子とその家族の姿を見ていると、家族の和
の大切さが伝わってくる。
テレビ撮影を兼ねて、我々スタッフのために食事を用意して下さっている台所を覗かせてもらった。なんとそこには大きな土蔵のカマドがあり、その上で焼き物や煮物をしておられる。もはや日本では見ることのできなくなった懐かしい風景がそこにあった。
テレビカメラの前で、思わず「電子レンジやオーブンで作る料理と違って、心がこもっているように感じられますね」と、本音を語るところとなった。ところが、今回の番組のスポンサーに東芝さんが参加
されていたため、このセリフはカットされるところと相成った次第である。
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真っ直ぐな道をひた走って
先住民の村に向かう
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山の上の祭祀場を清め
られる母親 |
いよいよ祭祀の始まりである。
石段の祭壇に色とりどりの
ローソクが添えられる |
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祭壇の前に砂糖で
円を描く
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円の中に果物や菓子類の
供え物、ロウソク、木片を
供える。 |
キチェー語での祈りを
終えた後、点火される |
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祭祀の様子をテレビカメラ
に収める岡部カメラマン
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アルコールがかけられ
最後の祈りが行われる |
無事祭祀が終わり
にこやかな顔に
取り囲まれた私 |
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薬草の貯蔵室
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土蔵のカマドの上で心の
こもった料理が作られる
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エリザベスと一緒に、
おいしい料理をご馳走
になる |
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朗らかで明るい子供たち @
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A |
可愛い猫ちゃんを見つけ、
思わす抱きしめる。
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