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ヤシャ遺跡

 

キリグアから1時間ほどの所に「ヤシャ遺跡」がある。あまり観光客が訪ねることのない遺跡であるが、そこには見応えのある「赤い手の神殿」と呼ばれるかなり大きなピラミッド 型神殿が建っている。幸い登ることが出来たので頂上部に立ってみると、その南側に点在するヤシャ湖とサクナブ湖という2つの湖が展望でき た。

マヤの遺跡はその多くが水資源に恵まれない場所に散在しており、その典型がユカタン半島の遺跡群である。有名なチチェンイツァ遺跡やトルム遺跡、ウシュマル遺跡などでは、 周辺に湖どころか川 さえ流れていないため、日常の水の供給は「セノーテ」と呼ばれる、石灰岩層が陥落して出来た天然の井戸に頼っていた。

通常は地下の浅い所にある地下水を使っていたが、下の図にあるように、時にはとてつもなく深いところにある地下の貯水槽から巨大な梯子を使って水のくみ上げを行っていた所もあったようだ。

 

 

 
 


ポロンチェンのセノーテ (マヤ文明・創元社刊より)

 

 

ところが、ヤシャ遺跡周辺には二つもの湖があり、珍しく水資源に恵まれた特異の遺跡の一つである。そもそも「ヤシャ」という言葉は「ヒスイ色をした緑の水」という意味であるが、古代のマヤ人は恵まれた水資源に惹 (ひ)かれて、この地にやってきたのかもしれない。

ヤシャ遺跡は後古典期と呼ばれる900年〜1400年頃の遺跡で、時代は比較的新しいが、それでも当時のピラミッド型神殿の多くが土砂に埋もれ てしまっており、その姿を見ることができない状態に置かれている。そればかりか、土の山からは木々が生い茂り、頂上部には20m近い大木が立ってい て、かってそこが神殿であったことなど想像すら出来ないほどである。(写真4段目・右 参照)

予備知識を持たずに眺めたら、正にその姿はどこにでもある自然の小山である。わずか数百年足らずでこうした状況になってしまうことを考えると、数万年の歳月を経た先史文明の都市跡や建造物など、たとえそれが地上に残されていたとしても、 我々の目に触れずにいて至極当然である。

もしも、将来、「核戦争」 なり 「ポールシフト」 による地殻変動などによって、地球規模の大カタスロフィーが発生するようなことになったとしたら、数万年後に、かって東京やニューヨークの街の存在した場所を訪ねた人類は、巨大なビルもタワーもみな瓦礫(がれき)と化し、 洪水によって運ばれてきた大量の土砂に埋もれ、その跡にうっそうとした木々が生い茂ったジャングルを眺めるだけで、栄華を誇った都市跡の痕跡など見出すことなど出来ないに違いない。

テレビカメラに追われてジャングルに埋もれたヤシャ遺跡を歩いていると、 遠い過去に人類が遭遇した一大異変と、いずれ訪れるに違いない地球の大変革の映像が脳裏をよぎった。ふと、「未来を見たかったら過去を見よ」という格言が思い出され 、背中を戦慄(せんりつ)が走った。

 



 


ティカルからヤシャに
向かう途中のペテン・イツァ
湖の風景
 

ペテン・イツァ湖で
遊ぶ子供たち

ヤシャ遺跡に向かう
途中の草原地帯

 



 

テレビに登場した葬儀に
参列する途中の親子。

理知的な先住民の
子供


先住民たちは今でも
馬を利用している
 

 



 

こんな小さな子供が
楽しそうに乗馬している


鬱蒼と茂ったジャングルの
彼方にヤシャ遺跡が見える
 

このピラミッド形神殿は
ユカタン半島のスタイル
に類似している

 



 

祭殿跡

摩耗が進んだ
ステラ(石碑)


神殿跡は土砂に埋もれ、
そこには木々が茂っている。
草木を伐採する前は自然の小山に
しか見えなかったに違いない。
 

 



 

 


赤い手のピラミッド @
 

 

A

 

 

 

 

 

 

 

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