十月桜



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十月桜
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講演会報告

 


 
 


家の近くで出会った十月桜

 


日曜日の大阪講演会をもって「人間死んだらどうなるの?」3回シリーズが無事終了。5会場における参加者数は延べ2000人を超え、多くのみなさんに、激変の時代を有意義に生き抜いて いくのに役立つお話が出来たのではないかと自負している。

高波動体を霊視出来る方やエネルギーを感じられる方が書かれたアンケートを読むと、各会場には数体の龍神さんが来ておられたようなので、参加なされた方々の魂は龍神の放射される聖なるエネルギーによって清められ、波動を上げることが出来たのではないかと思っている。回を増すごとに増える参加者の数がそれを示しているようであった。

人類はこれから先、空前絶後、我が目を疑うような出来事に次々と遭遇することになる。それに伴い、社会観、人生観、宇宙観、価値観 ・・・・・ こうしたあらゆる考え方が今までとは360度変わろうとしている。そうした激変の時代を生き抜くのに最も大切なことは、「死」という現象の実体をしっかり理解し、 「死」に対する不要な恐怖心を出来るだけ無くしておくことである。

人はいずこから来て何処へ去って行こうとしているのか? なにゆえに今の人生を歩んでいるのか? 人類は今どこに向かって進んでいるのか? 地球はなにゆえかってない激動期を迎えようとしているのか? こうした疑問を解いておくこともまた 、今の時代を有意義に生き抜くには必須事項である。

おのれの来所往所や誕生の意味などを何も考えず、何も知らないままで歩む人生は、薄闇の中をロウソクの灯かりを頼りに歩いているようなものである。今我々が遭遇しようとしているのは、次元上昇(アセンション)というかって人類が体験したことのない 前代未聞の時代である。

周囲の状況や訪ねる先が見えぬまま、足下だけを照らす薄明かりを頼りに歩いていては、周囲の物音や見えぬ影に一喜一憂し、無用な恐怖心 におびえながら人生を送ることになってしまう。その結果、間もなく遭遇することになる千載一遇の心躍る体験を実感できぬまま、人生の終着点を迎えてしまうことになる。

講演会場は数が限られているため、各地の講演会場に参加するのが大変の方も多いと思うが、住まいが遠隔地であることを理由にしていては、真理を手にすることはむずかしい。札幌講演会には釧路や網走から5〜7時間かけて参加されている方がおられる。また、福岡の会場には四国や広島から朝5時起きして来ておられる方もいる。肝心なことは、真理を追求するという強い意志を持 って事に当たることではないだろうか。

2011年最後の講演会、そのテーマは最後の楽園「PERU]であるが、 他では見ることの出来ないアマゾンの野鳥や動物たちの100枚を超す貴重な映像とともに、地球がいかに危機的状況に置かれているかをお話しすつもりである。また、前段では混迷を深める時局の話もする予定なので、お聞き逃しの無いように出来る限りご都合をつけてご参加頂きたい。


十月桜

さすがにこの時期になると、家の周りを歩いていて元気な花を目にすることが少なくなり、せいぜい菊とサザンカの花が目を楽しませてくれるくらいである。そんな中、 昨日季節を見間違うような花に出くわした。紅葉を背景に咲く「桜の花」である。

花の名は「十月桜」。これは「こひがんさくら」の一種で、晩秋に咲いたあと4月になると再び開花するので、年に2度咲きの珍しい品種である。春と違って晩秋は花の量が少な く、寒い日が続くと萎(しぼ)んでしまうために、道端に咲いていてもうっかりすると見過ごしてしまう。

「十月桜」とは別に冬に咲く桜としては「冬桜」がある。十月桜と冬桜はよく似ているが、花弁と花びらの数は10月桜が八重で、花びらは5〜18枚であるのに対して、冬桜は一重で、花びらは5枚しかない。  今回撮影した十月桜の枝 を別の場所に植えたところ、一重の花が咲くようになったというから十月桜と冬桜は同種かも知れない。     
 



 



 


寒さに強い野菊 @
 


A
 

サザンカ

十月桜

 

 

 

 

 

 

 

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