昨日は早朝7時にチバイを出発したあと19時間に及ぶアンデス越えの強行軍を終えて、ようやく深夜の2時過ぎにナスカにたどり着いた。
ほとんど寝る間もなく5時半に起床。というのは7時半に地上絵を見るためにフライトを予約しているからである。
ナスカの地上絵を写真撮影するには、早朝太陽が低い位置にある時間帯でなければならない。それに搭乗する軽飛行機も4人乗りの超小型機がベストで、後はパイロットの腕次第ということになる。
前回は飛行機酔いで写真撮影がままならなかったので搭乗前に船酔いを心配したが、今回はパイロットの腕前が良かったせいかまったく酔うことなく、撮影に専念できた。そのおかげで十数枚の地上絵を撮影することができた。
フライト中には気付かなかったが、帰国後、写真を整理していて驚いた。というのは、地上絵の幾つかが雨水のために破壊され始めていたからである。
ガイドのセサル氏の話では、近年、雨期(11月から4月)に降る雨の量が多くなってきており、そのために大量の雨水がパンパ一帯に流れ込み始めているようである。
ナスカ平原は年間雨量がわずか5ミリという、雨のほとんど降らない超乾燥状態が1万年以上にわたってつづいてきたために長大な年月、地上絵が存続してきたわけである。
世界的な異常気象がナスカの地にも及んでいることを考えると、早急に対策を講じないとナスカの地上絵の多くが間もなく姿を消してしまうことになるかもしれない。
ところで、驚異的なナスカの地上絵は誰がいつどのようにして描いたものだろうか?
私は先史文明を生き残った人々(アンデスの伝説ではビラコチャと呼ばれている超技術集団)が、ナスカ人の先祖にあたるインディオを指導して描かせたものと考えている。
最も重要な目的の一つは彼らが将来この地に帰還するときの一種の「目印」であったようだ。詳細は現在執筆中の本で明らかにする予定であるが、先史文明に航空機や宇宙空間への乗り物が存在していたことが次第にはっきりしてきており、私の考えを確かなものにしつつある。
その確たる証を私は先のエジプト探索で見出すことができた。次回の「エジプト・オーパーツの旅」でご覧頂くことになるが、とにかくそれは驚異的な代物であった。