サクサイワマン遺跡はクスコから車で30分ほどの所にある。
遺跡は、「要塞蹟」とか「城塞蹟」と呼ばれているが、3層にわたるジグザグの石組みが連なっていることから想像されただけで、特別の根拠があるわけではない。
広大な遺跡の中に入ると、すぐに広場の西側に連なる石壁が目に飛び込んでくる。ジグザグになった巨大な壁に沿って少し歩くと、石組みの中に取り組まれた途方もないほど巨大な石の前に出る。
見上げると私の背丈の3倍近くもある。推定360トンと言われる巨石である。身の丈数メートルもある巨人が、魔術でも使って造ったのではないかと錯覚するほどの巨石で、しばらく言葉を失った。
学者は、この城塞はインカ第十代皇帝、トゥパック・ユパンキによって建造されたと説く。しかし、目の前の石組みを見ると、このような建造物が彼らの手で造られたものでないことが実感される。
ここで使われている巨石は、何十キロメートルも離れた石切場から運ばれている。その間には小高い山や渓谷が横たわっている。そのような場所から、車輪の存在さえ知らなかったインカ人がどうやって運んだというのだ。
16世紀の植民地時代に、スペインの名家の出とインカの皇室の女性との間に生まれた混血児である、ガルシラソ・デ・ラ・ベガが書き残した報告書に、次のような記述がある。
「あるインカの皇帝が先駆者の建設に挑戦し、城塞に使われている規模の石を運び込もうと、2万人以上のインディオが動員されて運搬中、断崖にさしかかったとき、石が人の手を離れて落下し、3000人以上が押し潰されて亡くなった」
一つの石を運び上げるのに3000人もの死者を出さねばならなかったインカ人が、どうやってこのような城塞を造ったというのだ。インカ人には巨石運搬の能力はもちろん、それを持ち上げジグソーパズルのように組み立てる能力などなかったのである。
重力コントロールの知識を持っていた先史文明の遺した建造物であることは明白である。マチュピチュやオリャンタイタンボと同様、一大異変から逃げ延びるために建造された避難用都市であったと考えるべきであろう。
サクサイワマンの近くにある「ケンコー遺跡」と「タンボマチャイ遺跡」にも寄ってみたが、先史文明の明確な痕跡が残されていた。