ワイナピチュへ登る
前日まで、足の調子が完全でなく無理すると悪化する可能性があったため、ワイナピチュへの登頂はあきらめることにしていた。何しろ1週間前までは、車椅子の状態であったのだから、登頂などもともと無理な話というものである。
ところが、当日マチュピチュの遺跡に入ると、何故か登頂挑戦の気持ちが沸々と湧いてきて押さえ難く、仲間のメンバーにも励まされて、決行を決断した。
途中、何カ所かの急斜面では、足場が悪く危険なため、鉄の鎖やロープが張られている。それらを命綱にして登りながら振り返ると、眼下にウルバンバ川が糸を引くように流れているのが見える。
足下の絶壁に草木が茂っているから、恐怖心が押さえられているが、地肌が出ていたらめまいを起こすこと請け合いである。足の心配など何処かへ消し飛んでいってしまったようだ。
メンバーに助けていただきながら、およそ1時間15分ほどで無事登頂に成功し、山頂からの絶景とそこに残された先史文明の貴重な遺構を見ることが出来た。
不思議なことに、山頂には切り出された巨石や、研磨された自然石が乱雑に横たわっており、そこにかって巨石を使った遺構があったことを伺わせていた。
ということは、ワイナピチュの山頂もかっては平坦な土地の一角であったことになってくる。そうでなければ、こんな切り立った山頂に、100トン近い巨石を運び込めるはずがない。
どうして学者は、こういった大事なことを見逃してしまうのだろうか。恐らく説明のしようがないので、見て見ぬ振りをしているのだろう。
1万数千年前の大災害以前は、クスコからオリャンタイタンボそしてマチュピチュにかけてこの地方一帯は山岳部の中腹としてなだらかな丘陵地であったのではなかろうか。
その一角に造られた避難用都市「マチュピチュ」の周辺を、空からの水魂と巨大な津波が襲い、深い渓谷を刻んだのだ。その結果、周囲をえぐられてワイナピチュは峰となり、山頂には巨大建造物の残骸の一部が残された。そう考えると、山頂に折り重なった巨石の存在の説明がつく。
現在、「マチュピチュ遺跡」一帯は、マチュピチュ峰とワイナピチュ峰の間にあって、両峰よりおよそ250Mほど低地にある。周辺の状況を見ると、遺跡一帯が大カタスロフィーの後、陥落をした可能性もある。ワイナピチュはその時取り残されて峰として残ったのかもしれない。
ケチュア語でマチュピチュ峰は「年老いた峰」、ワイナピチュは「若い峰」と呼ばれているのは、そのようないきさつから来ているのかもしれない。
それにしても、謎の空中都市「マチュピチュ」と「ワイナピチュ」は、なんとも不思議な遺跡である。