| サント・ドミンゴ教会(太陽の神殿の蹟)正面
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現在サント・ドミンゴ教会となっている建物は、インカ帝国時代にはコリカンチャと呼ばれる「太陽の神殿」だった。
ケチュア語でコリとは黄金、カンチャは居所を表す。つまり「コリカンチャ」にはインカ帝国の黄金が集められていたわけだ。
インカの兵士が、入場した時、そこには夢のような世界が広がっていたのだ。広場の金の泉からは水がさらさらと流れ、金の石が敷き詰められた畑には金のトウモロコシや、等身大のリャマをつれた人間像も立ち並んでいた。
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| 教会の裏側
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教会の裏手に回って見ると、コリカンチャ(太陽の神殿)の名残である、見事な曲線を描く神殿の石組みを見ることが出来る。
しかしこれは、1960年代に復元されたもので、オリジナルなものではない。
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復元された石組み
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隙間だらけの石組みを見ると、原初の建造物の凄さが分かる。 |
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内部 @
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教会内部には、オリジナルな石組みが残されている。これらはどこにも隙間というものが一切見当たらない。 |
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A
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建造物の上方に注目していただきたい。石に穴が開けられているが、これは日本の古代木造建築に見られるように、凹凸による石組みで石同士を接合している。
オリャンタイタンボの屏風岩にも同じ凹凸が刻まれていたことを憶えておられるであろう。先史文明においては、巨大な石をまるで木材と同じように利用していたのである。
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B
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部屋への出入り口の高さが異常に高い。
サクサイワマンの城壁の入り口と同様、この時代の出入り口や天井の高さは何故か必要以上に高く造られている。
臨死体験中に木内氏が見た先史文明の人々は、背丈が一様に2.5M位あったという。
天体からの大量の水によって海面が2000M上昇したと言う木内氏の説を前提にすると、地球の重力は相当大きくなったはずである。
ということは、先史文明当時は重力や引力が現在より大分小さかった訳であるから、当時の人々が巨人であったという考えには論理性がある。
現に、旧約聖書には、ノアの洪水の前には、ネフィリムと呼ばれる巨人がいたことが書かれており、その他にも多くの国に巨人伝説が残されている。
また、考古学的にも、巨大な足跡や、3Mを越す巨人の遺骸が発見されており、巨人説を傍証している。
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C
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黄金の扉が組み込まれていたらしい跡が残されている。 |
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D
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使われている石の厚さが相当のものであることが分かる。
一番下段と四段目の石は一枚石で、部屋の内部まで続いている。
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E
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この石組みは後代のものと思われるが、インカ人によって造られたオリジナルな石組みはこの程度のものではなかっただろうか。接着剤が使われている。
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ロレト通り
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アルマス広場から少し行った所に、見事な石組みが残された細い通り(ロレト通り)がある。
クスコに残る先史文明の石組みの中でも最も長い通りで、およそ200Mほど続いている。
民族衣装を着た土産物売りの親子が時々行き交うが、彼女らの先祖が造ったとはとうてい思えないほど精緻な作りである。
両サイドには、インカ中の美女を集めた「太陽の処女の館」とワイナ・カパック神殿が建っていた。
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アトゥン・ルミヨク通り @
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この通り石積みは、ロレト通りの石より遙かに大きな石がふんだんに使われており、精緻に切り出された多面体の石を見事な石組みの技術で積み重ねている。
この程度のことは、先史文明の人々にとって、ことさら取り立てるほどのことではなかったのだろうか。
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A
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およそ10Mにも及ぶ高さに積まれた石積みは、見る人を圧倒せずにはおかない。
数トンクラスの巨石を使った驚異的な石組は、接合剤も使わずにピッタリと寸分の隙間もなく積み上げられている。これらの石組みはインカ人には造れなかったように思われる。
眼前に立ち上がる石組みを見ていると、先史文明からの何か強烈なメッセージが伝わってくるような感じがする。
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12角の石
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通りのほぼ真ん中当たりに、有名な「12角の石」がある。
他の石に比べて一段と大きいこの石は、サクサイワマンの城塞で見られたのと同様、12面体の石の各面に、接続する石がカミソリの刃一枚はいる隙間もないほどに見事に接着している。
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