8月25日(土)
北緯90度・地球のてっぺんに立つ
早朝5時に起きると船は停泊している。操舵室に上がり現在地を確かめると、北緯89度54分。極点まであと5マイル、8キロの距離である。
昨夜の話では、極点への到着は夜半過ぎ頃とされていた。しかし、途中厚い氷に阻まれ遅れたようだ。
6時過ぎから再び動き出した操舵室に乗客が集まりはじめ、極点到達の瞬間を待つ。極点まで数百メートルの地点に達した後、最後のつめに思いの外苦戦する。GPS(全地球測位システム)の画面を覗きながらの悪戦苦闘が延々40分続く。ようやく最終目的地北緯90度00分に着岸ならぬ着氷する。
待望の極点到達に艦内は拍手と歓声に包まれる。早速シャンペンで乾杯だ。我々は今、北緯90度、まさに地球のてっぺんに立ったのだ。時に時刻は、2002年8月25日07時27分18秒、モスクワ時間09時27分18秒であった。
しばらく安全な上陸地点を探したあと下船、氷上へと降り立つ。極点到達の実感が沸々とわき上がってくる。人類史上、極点への到達者1万2000人の一人になった瞬間である。
現在の温度は摂氏マイナス5度。多くの人が北極点から想像する温度からすると驚くほど暖かだ。しかし、もう一ヶ月もすると日ごとに下がり始め、秋口には零下30度を超し、零下50度の真冬へと向かう。
過去1世紀、この極点を目指してどれだけの冒険者が挑戦してきたことだろうか。その多くがクレパスにはまり、白クマに襲われ、寒さに耐えられず、食料が尽き、無念の涙を流してきた。1900年、人類初の極点到達の偉業を達成したアムンゼン。その時、彼の心に去来したのは、どんな思いだっただろうか。
記念撮影の後、ノース・ポールを中心に乗客全員が輪を作り、その中で極点到達を祝うセレモニーが行なわれた。船長とビクトルの挨拶。そして今回のツアーに参加した5カ国の国旗の掲揚。極点で、はためく日の丸を見上げながら聞く「君が代」は感動的だ。
乗客70人がそれぞれの思いで書いた「未来への伝言」。これらを収めたカプセルが北極中央海溝の最深部、深度4000メートルの海底へ沈められる。いつの日か、カプセルは開かれることがあるのだろうか?
極点に立つポールの周りを、輪になった乗客とスタッフが軽快なロシア音楽に合わせてて2回転する。一回りすると世界一周だ。たった数分で2度の世界旅行となる。
記念写真
セレモニーの後、私にはなんとしても成し遂げねばならない仕事が残っていた。出発直前、南蓼科カントリークラブで、中島、窪田、宮沢、武内の4氏と一緒に撮影した写真を持って、記念写真を撮ることだ。
(左から、中島福司、窪田実、宮沢長雄、武内佳久、著者 敬称略)
《ゴルフの腕より口の方が達者な、
小淵沢町在住の熟年5人衆 》
この写真だけは失敗が許されない。下手な写真だったら帰国して何を言われるか分からない。ここは一番、プロカメラマンの北沢君に撮影をお願いすることにする。
極点に立つポールの脇で無事撮影完了。これで無事彼らとの約束を果たすことができた。近づいてきた船長が、写真を覗き込み、「彼らは誰だ?」と聞く。「郷里の友人だと答えると」、「彼ら4人は極点到達者1万2000人プラス4(人)」だと言って笑う。
突然、船尾の方で歓声が上がるので見に行くと、なんと何人かの強者が船の進入で開いた海面に向かって飛び込もうとしている。正に北極点での寒中水泳である。
スタッフの一人に聞くと、水中の温度はマイナス2度程度だという。風と粉雪の舞う氷上よりはだいぶ暖かいことは確かだが、それにしても氷点下の海に飛び込むには勇気がいる。
見ていると、ヤマル号の船員はまるで極点で一泳ぎするのを楽しみに乗船してきたかのように、喜々として次々と飛び込んでいく。本人より見ている方が寒くなってくる。
日本人の挑戦者は誰もいないのかと思っていると、なんと冒険者舟津氏が日章旗を掲げて登場。日本男児の心意気を見せてくれる。期せずして見学者の間から割れるような拍手が沸き起こる。
極点近くの氷は多年性の海氷で、厚さは3〜4メートルのものが多く、周りを見渡すと、氷片が重なり合って出来る「氷丘」や「氷丘脈」が散在している。近づいてみると高さが10メートルから25メートルほどの物もある。さすがにその脇に立つと、北極点に到達したことが実感される。
「多年性海氷」は夏に表面が融け薄くなった氷が、再び冬に底面が結氷して暑くなり、氷厚3〜4メートルを維持し続けるのだという。
およそ3時間、氷上を散策したり、ぽっかり空いた開氷面をゾジアック(エンジン付きゴムボート)で走ったりした後、船室に戻る。体は冷え切っているはずなのに、極点到達の興奮のせいか寒さを感じない。