トランプ大統領の発言、中東情勢を緊張化
 

 


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トランプ大統領の発言、中東情勢を緊張化
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ゴラン高原」における主権をイスラエルに

 
 

 
 

 

 
 

またしてもトランプ大統領の物議を醸す発言で、世界に衝撃が広がっている。トランプ大統領がエルサレムをイスラエルの首都と認め、米国大使館を現在のテルアビブからエルサレムへ移転することを発表したのは2017年の年末。そしてその後に行ったパレスチナに対する支援の中止で、ぎりぎりの生活を続けているパラスチナ 住民を窮地に陥れるところとなった。

さらに2018年には、欧米諸国やロシア・中国とイランとの間で締結された「イラン核合意」からの離脱を発表。それはイスラエルに対抗するイランを窮地に陥れるための措置であった。さらにイランに対して行ったのが、「史上最大の制裁」と言われるイランの最も大きな収入源となっている原油の輸出止めであった。

こうして次々とイスラエルよりの施策を実施することによって、中東のみならず世界情勢に暗雲をまき散らして来たトランプ大統領が、今回また世界に新たな衝撃を与えることとなった。それは「イスラエルにゴラン高原に対する主権を認める」とする発言であった。

ゴラン高原はシリアとイスラエルの間に位置する標高1800mの高地で、シリアの領土であった。それが1967年に行われた第3次中東戦争で勝利したイスラエルが占領し、1981年に併合するところとなった。しかし、国際社会は戦争による領土拡大は国際法違反であるとして、イスラエルの主権は認め ずに今日に至っており、シリアとイスラエルの兵力切り離し監視軍として、日本政府も1996〜2013年まで自衛隊を派遣している。

ところが、突如としてトランプ大統領がツイッターで、ゴラン高原の主権をイスラエルに 認めると発言。またまたイスラエル・ネタニヤフ首相への援護射撃である。これに対して各国から一斉に反発の声が上がっており、中でも、EU諸国やロシア、アラビア諸国は一致して強い警鐘を鳴らしている。

 
 

 
 


二人の首脳の顔を見ると、気持ちがめいって来る

 

 

トランプ大統領がこの時期に問題の発言をしたのには幾つかの理由がある。一つは4月9日に予定されているイスラエルの首相選挙、いまネタニヤフ首相 は収賄の罪に問われており、一方で強力なライバルが現れいる時だけに、トランプ大統領の発現は首相にとって追い風であった。

もう一つの要因は、トランプ大統領が来年の米国の大統領選挙を有利に戦うために、イスラエルを支持するキリスト教福音派やユダヤ系ロビー団体に媚(こび)を売るためである。また同時に、中東で影響力を強めているイランの動きをけん制するためで もあった。

いずれにしろ、これまでのトランプ大統領によるイスラエル寄りの発現や政策の実施が、中東だけでなく世界情勢全般に混乱を引き起こして来たことは事実である。特に今回のゴラン高原におけるイスラエルの主権を認めるとする発言は、イランとイスラエルの関係が悪化して来ているタイミングだけに見逃せない発言であった。

1月にはシリアに派遣されているイラン軍からイスラエルにミサイルが発射され、直ちにイスラエル軍から反撃が行われている。これは事実上の軍事衝突である。またここにきて、イランのローハニー大統領がイラクを訪問したり、イラン、イラク、シリア3軍の軍事参謀長会談が行われている時だけに、両国の関係がさらに悪化しないことを願うのみだ。

それにしても、今回のトランプ大統領の発言はなんともはやタイミングの悪い発言であった。こうして中東における最悪のシナリオである「シリア対イスラエル」戦争の火種をまき散らすトランプ大統領。しかし、そんな大統領を選出したのは米国国民であることを考えると、それは国家と国民の背負ったカルマの刈り取りの時期が迫っていることを、示しているのかもしれない。

 
 

 
 


18日、シリアの国防大臣とイラク、イランの参謀長とによる会議がシリアで行われた。

 

 
 

 
 


一方、米国でのトランプ大統領とネタニヤフ首相との首脳会談を前に、イスラエルを
訪問中のポンペオ長官(左)はネタニヤフ首相と共に、エルサレムの「嘆きの壁」を
訪問。 こうしたことは前代未聞で、アラブ社会からの強い反発を買うところとなった。

 
 

 




 

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