国の建物の3分の1が破壊、死者数37万人
600万人が国外脱出
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内戦終結を迎えたシリア。 しかしその惨状は言語を絶する状況と化している。
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2011年から8年に渡って続けられてきたシリア内戦、IS(イスラム国)の最後の拠点となっていたシリア東部のバグズが陥落し、ようやく
戦闘が終止符を打つところとなった。当初は「アラブの春」運動に触発された反体制勢力とアサド政府軍との戦いであったが、IS(イスラム国)が進出した後、米国を中心とした有志連合軍
やクルド人勢力が加わって、三つどもえ、四つどもえの戦闘となった。
その結果、戦闘で亡くなった死者の数は37万人に達し、600万人が国内から脱出してトルコやレバノン、ヨルダンに避難。2011年には2200万人だった人口は2019年には1300万人に激減。人口の40%が失われた。この数値は尋常ではない。日米戦争において、米軍がB29爆撃機で東京をはじめとする60を超える都市に対して行った
、2000回に達する無差別爆撃による死者数はおよそ25万人。
広島と長崎に対する原爆投下を含めての死者数が46万人ほどであったことを考えると、内戦における37万人の死者数がいかに驚異的な数字であるかがお分かりになられるはずだ。まさにシリアの国民にとって、この8年間は地獄絵の中での暮らしであったに違いない。
また戦闘で焼失、破壊された建物は3分の1に達したと伝えられているが、下に掲載した写真を見て頂ければ、その様を実感して頂けることだろう。復興には4000億ドル(45兆円)が見込まれているようであるが、幾つかの原油施設がクルド人支配下に置かれてしまっただけに、先進国の国家予算の半分に達する45兆円は容易に調達出来る額ではない。米国やヨーロッパ諸国も支援には消極的であることを考えると、シリアの復興は気が遠くなるほど先になりそうである。
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多くの都市が人ひとり住まない廃墟と化してしまった。(フランスF2)
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アレッポの惨状
内戦が始まる前まで、シリアは中東諸国の中で最も安全で素晴らしい国と言われていた。
私は中東を訪ねる度にそうした話を耳にしていた。トルコに近いシリア最大の都市・アレッポは「アレッポの石鹸」として我が国でもなじみの都市であったが、そこは古い時代からの建物やモスクが建ち並ぶ有名な観光都市でもあった。
しかし、そんなアレッポの街も2012年には、政府軍と反体制派との戦いに巻き込まれ、歴史的な建物の大半が消失。今は見る影もなくなってしまった(下の写真参照)。 ここまで破壊されてしまっては、もはやかっての街並みの姿を見ることは不可能である。
そうしたシリアの衰退を喜んでいる国もあるのだ。それは他ならぬ隣国イスラエルである。そもそもIS(イスラム国)を誕生させた裏にイスラエルがいた可能性が高いことは、これまで何度もお伝えして来た通りである。昨日、トランプ大統領がイスラエルに主権を認める書類にサインをした
「ゴラン高原」も、中東戦争でイスラエルがシリアから奪った土地である。
もう一点、シリアの復興と同時に気になるのが、IS(イスラム国)の行方である。確かに組織としては崩壊したとみられているが、バグダディをはじめとする主要人物の行方も明らかとなっておらず、戦闘員の一部は今もなおシリア中部の砂漠地帯やイラク西部のシリアとの国境地帯に潜伏している可能性が大きいだけに、今後の情勢次第でいつ復活するかわからないというのが、大方の見方である。
なんともはや恐ろしい世の中になったものだ。
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有名なアレッポのモスクも今は姿を消してしまったようだ。
下はアレッポの市街の現在の惨状である。
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