不安な出発
4日前に父の49日の法要を済ました私は、長引く風邪の熱が下がらないなか、3月1日「一か八」かでノースウエスト航空の機上の人となった。
多少の熱には慣れっこの私であったが、何しろ行く先が南極だけに機中では不安が一杯で、旅行気分にはほど遠い感じであった。ニューヨークでトランジットしてマイアミ経由でアルゼンチンの首都ブエノスアイレスへ。
ニューヨークは東京並で肌寒い。気温約8度。ブエノスアイレスに着くと、一転そこは真夏で30度を超していた。体温調節が完全に狂ってしまって体調は良好にはほど遠い状態。市内見物を断念して、一人ホテルの部屋でベッドの中。無謀なチャレンジを後悔の二文字が責める。
翌早朝3時のモーニングコールで起こされ、再びアルゼンチン航空の国内線(とは行っても搭乗時間5時間)で南米最南端の都市ウシュウアイアへ。ここまでで既に30時間を超えるフライト。心配している家族へ掛けた電話は、会話に時間差があってはなはだ話しにくい。地球の果てまできたことを実感する。
ウシュウアイア
ブエノスアイレスから3250キロメートル。ここまで来ると南極まではわずか1000キロメートルたらずである。ウシュアイアのあるフェゴ島は、1520年にマゼランが西洋人として初めて到達した島で、大西洋を南下していたマゼランが、先住民の焚く断崖の上の火を見て、ティエラ・デル・フェゴ(火の国)と名付けたのが名前の由来である。
フェゴ島はマゼラン海峡やビーグル海峡それに大西洋に囲まれ、九州を一回り大きくしたサイズだ。そのうち約半分がチリ領、半分がアルゼンチン領になっている。年間を通じて強風が吹き、夏でも平均気温は9度前後、南緯55度の地形は、すぐそこに森林限界線が迫り、まるで高山にいるような錯覚を受ける。
乗船
16:30ロシアの耐氷船、アカデミック・イヨッフェ号に乗り込む。一人部屋の追加料金だけで海外旅行が1回出来てしまうほどなので、相部屋を予約したところ、同じ船室クラスの相棒がいなかったためか、キャンセルがでたために、結構広い部屋が独り占め出来ることになった。ラッキー!!
どうやらこのクルーズは幸運に恵まれそうだ。
今回の南極クルーズを企画したペリグリーン(Peregrine)社のスタッフの自己紹介や船内のガイダンスの後、安全に関するガイダンス、避難訓練が行われた。キャビンにもどり、出来るだけ暖かく着込んで、備え付けてある救命胴衣をつけて、3階のデッキに向かう。そこには真っ赤な色の救命ボートがクレーンで吊されていた。
避難訓練と言っても、点呼を受けて終わりという簡単なものであったが、落ちたら2分で一巻の終わりという南極海の氷の海に、これから出掛けていこうとしているのだと思うと、身の引き締まるお思いだ。
説明を受けているいるうちに、いつの間にか船は桟橋を離れ、南極へ向かって航海を始めていた。