世直しの原点・幣立神宮
幣立神宮にまつわる神話や御神示をお聞きしていると、日本だけでなく、地球と人類の長い間隠されつづけてきた「真実の歴史」が語られているようで、思わず襟を正す気持ちになってくる。これだけの歴史を持つ神宮が村の鎮守並みの社
(やしろ)であるのは、、応神帝の時代、勃発した内乱のために、自ら隠れ宮となりこの世から身を隠された尊い歴史があるからであることは、既に述べた通りである。
その幣立神宮が人類の危機が迫った今、世界の世直しのために神々の集う社(やしろ)として、再び世に出たことを考えると、人類は今まさに分水嶺にさしかかっていると思わずにおれない。しかしながら、現代文明の有り様を見てみると、マネーゲーム
化した経済活動に振り回されて、バブル化したり不景気に陥ったりと、人々の生活は振り回され続けてきている。まさに物質至上主義、貨幣至上主義の世の中である。
その結果、生活の豊かさや利便性の向上とは裏腹に、とどまることのない戦争や内戦、奇っ怪な伝染病の蔓延、洪水、干ばつ、寒波、地震、火山噴火などの自然災害はとどまるところを知らず、
それらの不安材料はここに来て放物線状に増加してきている。
人類は今まさに、奴隷となって動物化するか、人間としての尊厳をもって生きるかの選択を迫られているのである。この点を、先代の春木宮司はご著書『青年地球誕生』の中で、「分水嶺の頂上を引き返すか、超えていくかは私たち一人ひとりに任されており、今の不安の世界を継続していくのか、それとも峠を超えて新しい景色を見るのかは私たち自身の問題です」と、大変示唆に富んだお言葉を述べて居られる。
宮司の言われる「峠を越えて見る新しい世界」とは、マヤの最高神官・ドン・アレハンドロのいう物質的価値観から脱却し、不公正や差別のない新生地球であり、マウリツィオ・カヴァーロ氏や
ペトル・ホボット氏の言うトランスフォーミング(アセンション)
を果たした人々の暮らす高次元世界のことだと考えてよいのではないだろうか。
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幣立神宮に飾られた五色人面
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永い眠りについていた幣立神宮がいま世に公然と出現して高らかに祝詞をあげられ、世界の各地から精神世界に目覚めた人々が集められて五色人祭が行われようとしている一方、世界は日本国の存在などないがしろにして、アメリカが、
中国がと、経済的発展のみを追い求めて駆け引きを繰り返している。
また、我々日本人自身も自分の産まれた国が他に類を見ない悠久の歴史を持つ類い希(まれ)な国土であることを
思い起こすことなく、唯物論者が主導する
物質市場世界の中で忙しさにまぎれて、いたずらに貴重な時を過ごしてしまっている。
ましてや、この国が龍蛇族を中心とした神々や多くの精霊たちのたゆみない、誠実なご守護によって存続し続けていることを真に理解しているのは、数限られた人たちだけである。最近流行のエネルギースポットを追い求めて神社や聖地を訪ねる若者たちが増えているが、その多くがおのれの幸せと身の安全を願うばかりでは、未来への期待は湧いてこない。
短パンにハイヒール姿で一礼することもなく鳥居をくぐっては、参道の真ん中をおしゃべりしながら歩く姿を見ていると、我々大人は、こうした子供たちに何を教えてきたのかと悲しくなってくる。「二礼・二拍手・一礼」の作法と
参道や神殿の前では会話を慎(つつし)むことぐらいのマナーは、心得ておいて欲しいものである。
五色人祭に参列されたホピ族のメッセンジャー、ラルフークレイグ・カーペンター女史は、「この地に奉斉された崇高な太陽の女神に、浄化を起こさせないように心がけましょう。太陽の女神は、目には見えないが一番パワフルで決して消えることのない火」なのですからと、語っている。
これは、五色人祭によって今、人類が世直しに向かわねば、幣立神宮の地、阿蘇山の力が働いて火と水の力で台地や山が崩れ、世界が水浸しになることを示唆している言葉であることを、我々は忘れてはならない。未来を見通す力を持ったカーペンター女史は、アマテラス神が自らの手で、我が子同然の人類に鉄槌(てっつい)を下すことになる可能性があることを、知っておられるに違いない。
人類と地球の再生に向かって精進し、自然と共に歩み、徳を積むその時は、幣立神宮が悠久の眠りから覚めて世に現れた今をおいて他にないのである。