高千穂神社
天孫・ニニギノミコト以下三代の神々をお祀りするため、およそ1800年前に、第11代・垂人天皇によって創建されたと言われている高千穂神社は、古来「十社(じっしゃ)大明神」
とか「十社宮」などと称されていたようだが、明治4年(1871年)に「三田井神社」と改称され、さらに同28年(1895年)に、現在の社名に改称されている。
境内には鎌倉時代将軍・源頼朝が畠山重忠に代参させた際に植えた、樹齢800年、55メートルの高さを誇る秩父杉がどっしりとそびえ立っており、その他にも
、境内には夫婦杉など大きな杉がそびえ立
ち、厳かな雰囲気を漂わせている。
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国の重要有形文化財に指定
されている高千穂神社の本殿
本殿前にそびえる秩父杉
巨木の森の中でひときわ
存在感をはなっている
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樹齢800年を超す秩父杉 |
拝殿 |
高千穂の夜神楽
高千穂地方では、11月下旬から翌年の2月の始めにかけて、22の集落で夜神楽が催しされる。この夜神楽は高千穂の里人が太古の神々と年に一度の出会いを楽しむ伝統的な祭祀であるが、高千穂神社の神楽殿で奉納される【高千穂の夜神楽】は、旧暦の
12月3日に行われ、2日1晩をついやして33番を舞い続けることで有名である。
このお神楽の起源については、天の岩戸にお隠れになったアマテラス神を岩戸から引き出すために舞われたウズメノミコト(天鈿女命)の舞いであったといわれているが、その始まりについて、文献には
、正和2年、西暦1313年と記されているというから、今からおよそ700年も前の昔から行われていたようである。
また、さらに古くは、神亀5年、西暦728年に書かれた記録にも、高千穂宮藤岡というところに、不思議な音楽を奏でる美しい女性がいたというような記述があることからも、我が国で最も古い歴史を持つ
「夜神楽」であることは間違いなさそうである。
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高千穂の上田原神楽
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神楽殿で行われる夜神楽 |
御神体の舞 |
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「天の岩戸」を押し開いた手力雄命
(タジカラオノミコト)の
「たじからおの舞」
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天の岩戸の前で踊った
天鈿女命(アメノウズメノミコト)
の「うずめの舞」 |
赤面に袴、たすきを腰に
はさみ杖を持った力強い
手力雄命(タジカラオノミコト)
の「戸取(ととり)の舞」
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次回は、岩戸隠しの伝説です