白銀の知床半島
網走で一泊し、19日は知床に向かって出発。昨日とうってかわって今日は朝から快晴。日の出が見られそうなので海岸沿いを走り、カメラを据えれる場所を探して待機していると、
暗い東の空の一角が次第に明るさを増すに連れ、周囲を茜色(あかねいろ)に染めながら黄金色の太陽が昇ってきた。
山に囲まれた山梨の地で見る日の出とは趣が異なり、一段と神々しさが感じられる。マヤの長老、ドン・アレハンドロは先のインタビューで、「人類は長期暦が終わりを迎えた
時、長時間にわたって暗黒の世界に包まれたあと、新たな太陽が昇るのを見るだろう」と述べている。
大艱難を生き延びた人々が見ることになる新たな太陽というのは、生まれ変わった5次元世界の地球を照らす高次元の太陽を指しているものと思われる。その時人々はどのような思いで初日の出を眺めることになるのだろうか。
その日がいつになるのか、確かなことは分からないが、私はそんな太陽の姿を目にすることはないように思っている。というのは、アマゾン探索
の旅に向かう早朝、ペルーのクスコの地で幻視させられたある場面が、私の地球からの旅立ちの様子を告げているようの思われるからである。
待望のオジロワシ撮影
網走から知床半島の根元に当たる知床斜里駅を通って、釧路まで全長160キロの釧網(せんもう)本線が走っている。その鉄道線沿いに斜里町に向かって走っている最中、浜小清水の近く
の海岸でオジロワシを発見。さっそく車を止めて撮影に向かった。
ただ道路からオジロワシが飛び交っている海岸まで行くのには、1mを超す高さの雪溜まりを20メートルほど横切らねばならない。重い三脚とカメラを担いで進むと、突然胸の辺りまで雪に埋まって、一瞬身動きが取れなくなってしまった。
それでも何とかカメラと三脚を頭上にあげ、あえぎながら一歩づつ前に進む。少々無謀な進軍であったが、なんとか渾身の力を振り絞って渡り切って岸壁を見ると、そこで羽根を休めていたのが、写真Nのオジロワシである。
およそ2時間に渡る撮影を終え車中で一休み、しばらく海岸沿いを走った後、斜里町の辺りで内陸部に入り、雪に覆われた広大な牧草地帯を走っていると、前方に海別岳
(うなべつだけ)が見えてきた。しばらく待っていると、山頂の雲が切れ始め、純白に輝く山頂が顔を見せ始めた。紺碧の空と薄くたなびく白雲、まさに絵になる絶景である。
標高1419mの海別岳は、知床半島に連なる音遠別岳(1330m)、羅臼岳(1660m)、知床岳(1254m)などの山系の起点となる山である。西隣にある斜里岳(1545m)を雄に例えると、雌に当たるのが海別岳で、写真Eを見てもらえば分かるように、
峰々に険しさがなく、大変優雅な山並みである。
雄大な夕陽
斜里町で遅い朝食をとったあと、オホーツク海岸沿いに知床国道を走ってウトロに向かう。
ウトロは知床半島のほぼ中央部に位置し、その先から知床横断道路を渡ると、半島を横切って羅臼(らうす)海岸に出る。しかしこの時期は、雪のため道路は閉鎖されていて渡ることは出来ない。
ウトロ海岸沿いには夕陽台と呼ばれる場所があり、そこは、オホーツク海に沈む雄大な夕陽を眺める有名な場所である。途中町の観光協会に寄って聞くと、このシーズンは日没の場所がオシンコシン岬にかかってしまうので、もう少し先に行った方がよいと教えられた。
そこでさらに東に向かって進み、横断道路にさしかかる手前のプユニ岬の高台に車を停めて、日没を待つことにした。しばらくすると、海面に浮かぶ雲の中に太陽が沈み始めた。高台
から眺めているため、海面に浮かび上がった紅色に照らされた光の帯がくっきりとみえる。
厳寒の夕暮れ時、カメラを構える手が凍りつくようであったが、太陽からの生命エネルギーが差し込んだかのように、心は温かさに満たされ寒さを感じることがなかったのは不思議であった。(写真I)。
撮影を終え撮影器具を車に積もうとしている時、同伴の野村君が突然叫び声をあげた。海面に沈む直前、雲間から真っ赤なオーラに取り囲まれた黄金色の太陽が
再び顔を見せのだ。それは私が初めて見る、実に壮大な太陽の姿であった。急いで望遠レンズで撮影したのが写真Jである。
この日は、早朝の日の出から日没まで太陽に見守られての、幸運な一日であった。
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日の出前の網走海岸
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A 網走海岸の日の出 |
B 朝日に照らされた海岸 |
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C
群れるカモメ
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D 浜小清水付近の牧草地 |
E 海別岳(うなべつだけ) |
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F ウトロ海岸 |
G ウトロ海岸の親子岩
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H 知床半島のプユニ岬 |
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I
プユニ岬からの展望
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J 雄大な輝きを残して
沈む太陽 |
K 夜のスキー場 |
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L 岸壁で羽を休めるカモメ
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M オジロワシ |
N 飛揚するオジロワシ |