今欧米の女性たちが求め始めている女性中心の「パラダイス」 が中国には既に実在していたことを「なんともはや驚きの世界が存在していた」で記したところ、徳乃蔵への来館者から、多くの驚きの声をお聞きするところとなった。 今回お伝えする記事もまた驚かれるに違いない。
中国の湖北省にある大洪山南麓の鍾祥市客店鎮水磨坪村。 この村では不思議なことにこの50年間にわたって、人口は78人から80人の間を保ち続けており、それ以上増えもしなければ減りもしない状況が続いているという
から、驚きである。
水磨坪村は標高1000メートルの高地だというから、八ヶ岳山麓と同じような高さ
に位置する村である。 村の周囲は険しい岩がそびえ立つ山に囲まれており、桃源郷のような風光明美なところだという。 そこには22戸の家があり、それらはすべて南向きに
建てられて整然と並んでいる。 村に出入する唯一の道はけわしい山道なので、村の人々はあまり外に出かけず、中には一生村から出たことがない人もいるようである。
驚かされるのは、半世紀以上にわたって村の人口が変わらないことである。 村人の話によれば、1950年に記録されて以来、村の人口はずっと78人から80人を保っているというのだ。 子供が誕生したり、花嫁が嫁いできたら、半年以内に必ず村民の誰かが死んだり、村の娘が花嫁として出ていくことになって
、人口の増加がコントロールされているようなのである。
そんな村なら。さぞかし、穏やかな村で村人たちは静かな日々を送り続けているに違いないと思いがちだが、そうでもないようである。 その厳しい一例が妊婦の出産が近づいた際に起きるようだ。 子供が生まれればどこかの家で死者が出ることになるからだ。
そのため、妊婦が難産で死産となった時には、気の毒な気もちになると同時に、一面ホッとする面もあるようだ。
時には次のような悲惨な事態が発生することもあったようである。 1974年に村に2人の男の子が生まれた時には、村民の総人数が80人を突破し82人となったが、その数カ月後、村の3人の青年が農作業中に次々と亡くな
ることとなり、80人の枠を維持することとなったのだ。
こうした状況は、村が豊かになったり人の出入りが多くなったら
、変わるのではないかと思われがちだが、不思議なことに今に至るも、そうはなっていないようである。
2003年以後、村の近くにある鐘乳洞が観光地として開発され、村民たちは山で採れた果物や土産品を観光客に販売するようになった。 それによって村人たちはかなりの現金収入が得られ、生活はずいぶん豊かになったよう
であるが、村民の数は相変わらず78人から80人の間を保っているのである。
それにしても、人口抑制をするために、中絶をしたり、子供を売りとばしたりなどして、長年にわたって国を挙げ「一人っ子政策」を実行してきた中国で、なにもせずとも、人口数を維持している村があったとはなんとも皮肉なことである。
それにしても、中国と言う国はいやはや不思議で奇妙な国である。