それは欧米の女性たちが求める
「女性中心の世界」だ
|
|
|
|
ロスアンジェルスやニューヨークなどで、女性たちによる反トランプデモ行進が行われた。
彼女たちの求めるのは、女性蔑視やセクハラなどのない男女平等の世界だ。 |
|
トランプ大統領が昨年6月に、ニュースキャスターのミカ・ブレジンスキーさんに対し「彼女はIQ(知能指数)が低く頭がおかしい」、「顔のしわ取り(美容整形手術)でひどく出血していた」などと
、ツイッターに根拠の無い発言を書き込んで非難を浴びたことを、読者は覚えておられるだろうか。
一方、一人の女性がハリウッドの映画監督からセクハラ行為を受けていたことを告発したことから、これまで闇に葬られてきたセクハラ被害者の告発が多発。
その後、1月の20日、21日には、セクハラ騒動の「震源地」となったロスアンジェルスのハリウッドで、50万人の女性が参加するなど、全国250の地域で女性を
中心とした
100万人規模の反トランプ、反セクハラの抗議デモが発生するところとなった。
こうした抗議デモの動きは米国だけに留まらず、ヨーロッパ各国でも「ウィメンズマーチ」として広がっており、女性の声を社会に広めるために、国や地方の政治に参加する
女性の立候補者が2倍、3倍と急増しているようである。
民主主義国家であり男女平等の考えが行き渡っていると思われていた欧米諸国で、こうした動きが拡大しているところを見ると、私の想像以上に欧米では「女性軽視」や「女性蔑視」の考えが蔓延していたのだと、驚きを感じる。
実在する女性中心の「パラダイス」世界
|
|
|
|
中国のモソ族の世界の中心的存在となっている女性たち。
(写真は「ふれあい中国」より)
|
|
先進国の代表的国家である米国や英国、フランスなどで未だに男性中心の世界が存続している一方で、目を先住民族に向けて見ると、女性が中心となり
、男性はその補助役に過ぎない制度が確立され、まさに先進国の女性にとって夢のような「パラダイス的世界」もあるというのだから驚きである。
そんな記事を以前何かで読んだことを思い出し検索してみたところ、実在する女性中心の世界
を、先住民族の写真家として知られるピエール・ドゥ・ヴァロムブリューズ(
Pierre de Vallombreuse )氏が、ご自身の写真集で紹介していることを知るところとなった。
その写真集には、集団社会において女性が支配者であるか、あるいは、完全な
男女平等の制度が保たれた4つの先住民族の実体が紹介されていた。 女性家長制度を持つインドのカーシーや、女性が社会の全てを牛耳る中国のモソ族、さらには男女の平等主義や自由主義が貫かれているマレーシアのバジャオ族
、フィリピンのパラワン族の様子が素晴らしい写真と共に紹介されていた。
その中で最も興味を持ったのは、中国南西部のモソ族(摩梭族)であった。 モソ族は雲南省と四川省の接した、海抜2690メートルの高地にある美しい湖として知られる「ろこ湖」(濾沽湖)周辺に
住む民族である。
|
|
|
|
モソ族は標高2600メートルの美しい「ろこ湖」周辺に住んでいる。
|
|
モソ族の世界で働いているのはすべて女性で、「家の主」として稼いだ金を管理しているのも、家事を担っているのも
女性なら、子供を育てるのもみな女性だというから驚きである。
では男性は何をしているかというと、みなトランプをしたりして遊んでおり、これと言った仕事
には就いてはいないようである。 また、子供がいても男性には養育権がないどころか「父親」という呼び名すらもないという
から、ただただ驚くばかりだ。
どうやら、モソ族(摩梭族)には、「通い婚」と呼ばれる婚姻制度が通常となっているようで、夫は結婚しても実家に残り妻のところには通って
暮らしているようである。 まさに「通い妻」ならぬ「通い夫」と言うわけである。
男性には子供を育てる義務がないので、自分の姉妹の子育てに協力することになっているようである。
そんな制度に対して女性の中には、不満や悩みを持っている方もいるのではないかと聞いてみると、「まったくありません、女性の悩みってなんですか?」と皆笑顔で話し、「ほとんどの物事は自分で解決できるので、男性は必要ありません」、男性は「景色ですね」と答えているという。
カメラを片手に「景色」を撮影して楽しんでいる私は、もしも、生まれ場所を間違っていたら、自らが「景色」となっているところであったようだ。こうした
信じ難い摩訶不思議な婚姻制度で村は繁栄し、先住民たちは皆幸せに暮らしているというのだから、いやはやなんとも驚きである。
欧米諸国でデモ行進を行っている知性あふれる女性たちが、こんな女性中心の世界が実際に存在していることを知ったら、驚いて腰を抜かすのではなかろうか。 そんな姿を想像しただけで
思わず笑ってしまう。 それにしても世間は広く、
想像したこともないような世界が実在していることを知るところとなった、何とも不思議な1日であった。
|