NHKスペッシャルが伝えた心をえぐる映像
読者は先日放送されたNHKスペッシャル「シリア絶望の空の下で 〜閉ざされた街 最後の病院」をご覧になられたであろうか。
中東や北アフリカで発生した「アラブの春」。 その流れがシリアに及んで、長く独裁政治が続いていたアサド政権の打倒を叫ぶ民衆デモが始まったのは、6年前の2011年
春。 アサド政権はこれを弾劾(だんがい)、自由と民主主義を求める運動はやがて武装闘争へと変身していった。
政権打倒を目指す反政府組織を米国が応援する一方で、アサド政権を支援したのがロシア。 その後、各国の思惑が絡み合い泥沼化する紛争の中、最大の激戦地となったのが
シリア第2の都市・アレッポの街である。 そのアレッポの東半分の地区に本拠地をおいたのは、反政府勢力の「自由シリア軍」。
戦いが始まってからおよそ5年、そんなアレッポの東地区一帯がシリア政府軍によって包囲され、激しく攻撃され始めたのは昨年の7月。 その後、街
全体が政府軍によって陥落されるまでの5ヶ月間、
街に残った住民たちにとってはまさに「地獄の日々」となった。
米国の大統領選挙で米軍の関与が中断される間を狙ったシリア政府軍とロシア軍の攻撃は、熾烈を極めるところとなったからである。
空と地上からの容赦のない爆撃によって、4000年の歴史を持ち、シリア最大の商業都市であったアレッポの街は無残な姿と化し、シルクロードの交易で栄えた市場の周辺は、
文字通り犠牲者の墓場と化してしまった。 下に掲載したかっての市場の姿と陥落後の様子を見て頂ければ、その無残なまでの変容ぶりがお分かりになるはずだ。
破壊されていく街の様子は、中東の放送局・アルジャジーラなどの映像で、これまでに何度も目にしてきたが、今回NHKスペッシャルで伝えられた、空爆で死傷し病院に担ぎ込まれる人々とその家族の姿はなんとも悲惨で、何度も目をそらし、耳を防ぎたくなる場面の連続であった。
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アレッポ市民にとって誇りであった紀元前から栄華を極めた
歴史ある街並みは、砲撃によってなんとも無残な姿と帰してしまった。
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シルクロードの交易で栄えた市場の一角は文字通り墓場と化してしまった
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12箇所あった病院の全てが壊滅
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12箇所にあった病院はわずか5ヶ月の内に次々と破壊され姿を消していった。
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市民にとって最後の拠り所となった「クドゥス病院」も、とうとうこんな姿になってしまった。
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中でも心に焼き付いたのは、7月の時点で12箇所あった病院が次々と破壊されていく姿であった。
いつ自分や家族が攻撃の対象になるか不安の中で暮らす住民たちにとって、残された病院は唯一の救いの場であった。
そんな病院が次々と消えていくのだから、市民はたまったものではない。
11月に入ってアサド政府軍は地上部隊を本格的に投入し、東地区の半分を支配下に収めていった。 その間、空と陸からの激しい攻撃で12箇所あった病院の数は6箇所に半減。
そのため、助かるはずの命が失われていくケースが増え続けていった。 政府とロシア軍機によって、戦争犯罪にあたる病院を狙った空爆が行われていたからである。
アサド政権は否定し続けているが、空爆に国際法で禁じられている化学兵器が使われていたことは、確かなようである。 その結果、塩素ガスを含んだ爆弾の投下で、呼吸困難症に苦しむ市民
が続出。 病院で苦しむ子供たちの姿には心をえぐられる。 そして12月、とうとう街は1・6キロ四方に
まで追い詰められ、残された病院はただ一つとなった。
最後に3万人の住民の命が預けられることとなったのは、「クドゥス病院」であった。 なんとも皮肉なことに、この「クドゥス」という名の意味は「聖地
」、その「聖なる病院」までがとうとう空爆にさらされるところとなってしまった。 その結果、文字通り野戦病院と化した病室や廊下は、瀕死の重傷を負って血を流して横たわる患者や、担架で運び込まれる子供たちで足の踏む場もない有様。
最後まで残って命がけで治療に当たる医師の数はわずか、そこに百人を越す負傷者が次々と担ぎ込まれて来ては、対応できるものではない。 助かる見込みが
ある患者だけを病室に運び、その他の負傷者は見捨てるしかなかった。 まさに聖なる「クドゥス病院」は地獄と化してしまっていた。
こうした病院の地獄絵が写された映像の中で、今もなお私の心の中に残っているのは、下に掲載した3枚の映像である。 一枚は、駆けつけた女性の前で息を引き取った家族の姿を見て「神様こんなのひどすぎる!」と絶叫する
母親の姿。 2枚目は廊下に寝かされた我が子の死体に向かって「さ〜家に帰るよ 起きて!」と呼び続ける父親の姿。 そして最も胸をえぐられたのが、耳や鼻から血を流しながら
ベットの上で、あの世に旅立ったと思われる母親を探して「ママ! ママはどこ!」と泣き叫ぶ幼い子供の姿であった。
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我が身の無力さを思い知らされた最後の映像
放送を見終わった後、しばらくの間、何も手がつけられない放心状態が続いた。 映し出される映像があまりにショッキングだったからだ。 それゆえ、
見終わった後、この番組の内容を急いで読者に伝えねばと思ったものの、記事にすることが出来ないまま2週間あまりが過ぎてしまった。 これまでに 何回もシリア内戦の厳しい状況を目にし
、読者に伝えて来た私でもそうだから、初めて目にした方はさぞかしショッキングであったに違いない。
その後、徳乃蔵に来館された方たちに
、この番組を見られたかどうかお尋ねしたところ、見られた方はわずかであった。 そこで番組の要点だけでもお伝えしようと決断することとなった次第である。 しかし、その内容をしっかりお伝えするには、
収録してあったビデオを何回も見直して、ショッキングな場面をカメラに収めねばならない。
これまでにも同様な作業を繰り返してきた私であったが、今回はなんとも辛い作業であった。
最後まで残った「クドゥス病院」の先生方は、政府軍によって街の閉鎖が続き、必要とされる医薬品や医療器具が底をつき始めた時、命がけでカメラの前
に立って、空から医薬品の投下を訴え
られたようである。 しかし、国際社会からの支援は一切届かないまま、最後の時を迎えることになってしまったようである。
国境なき医師団や国連WFP協会を通じて、これまでにシリア難民の人々にはいくばかりかの支援をして来ていたものの、地獄と化したアレッポの街に取り残された人々には何の役にも立てなかった自分が、これほど情けなく思ったことはなかった。
今はただ、12月中旬にアレッポの街が陥落した後に、生まれ故郷を離れてトルコなどの難民施設に避難した人々が、少しでも人間らしい生活を送れることを願うばかりである。
血みどろになった二人の姉妹。 左の姉は自身が血を流しながら右の妹の治療を
心配そうに見守っている。こんな悲惨な場面は戦時下でなければ見られるものではない。
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母親を探す兄と妹。 母親は爆撃で亡くなってしまったようである。
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ただ一人で病院に運び込まれたこの子は
、家族との別れと痛みで泣き叫んでいた。
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それにしても6年前、自由と人権を取り戻す市民運動ともてはやされた「アラブの春」が、これほどの悲惨な結果をもたらすとはどれほどの人間が予想しただろうか。
他国との戦争であろうが内戦であろうが、こうして悲惨な事態に巻き込まれ泣きを見るのはいつも一般市民、
そうした中でも、こうした子供たちの姿は見るに堪え難い。
因みに、6年間にわたって続けられてきた熾烈な内戦で亡くなられた人の数はおよそ32万人、家を追われた人は人口の半分に当たる1100万人、その内、海外に難民として
渡った人の数は500万人、国内難民は600万人。 この凄い数が同じ国民同士の争いで発生したことを考えると、身の毛がよだつ。
中東で発生している悲劇はアレッポだけのことではない。 同じ悲劇が今また新たにイラクの都市モスルでも起きようとしている。 イラク軍やクルド人部隊が
、30万人が住むIS(イスラム国)に占領されていたモスルの街の奪還作戦を始めており、既にISによって人間の盾とされた市民の中から多くの犠牲者が出ている。 そしてその数は、米国主導の有志連合の誤爆による100人前後の死者を含めて、この4週間ほどで300人を悠に越して来ているようである。
お互いに次に生まれ変わる時には、「戦争」という二文字に遭遇しない世界に転生したいものである。
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破壊され尽くしたアレッポの街からの避難民を乗せた車両。 難民として
他国に渡った市民たちが、再びこの街に帰ることが出来るのはいつのことだろうか。
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