閑散期の今こそ、心の癒やしのチャンス
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庭先の積雪の上に描かれた奇妙な印 (クリックで拡大)
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上の写真は数日前に10センチほどの積雪があった翌朝に、私が庭先で目にした光景である。読者はそこに写された矢印をご覧になってなんだと思われましたか?
私は一瞬、誰がこんな矢印を書いたのだろうかと考えてしまった。子供が遊びに来て描いたのなら分かるが、最近は我が家周辺には子供がすっかり少なくなってしまって、あまり見かけない。新聞配達のおじさんにはこんないたずら書きをするほど暇はないはずだ。
しばらく?は消えなかったが、ふと冬鳥を撮影に出掛けた際に見た光景を思い出した。そうだ、これは鳥がつけた足跡だ!
矢印の長さは2センチ弱であったので、体長が14〜15センチのスズメやシジュウカラの足跡にしては大き過ぎる。たぶんヒヨドリかムクドリの足跡ではないだろうか。最近はまた狸が越冬で戻ってきているようで、矢印のすぐ近くにその足跡も連なっていた。
今年は例年にない寒い日が続いている。風が強いため体感温度が低く感じられるためか、時には肌が痛いほどである。毎日続けている1時間ほどのウォーキングの際には、毛糸の帽子と襟巻き
は欠かせない。今年はそうした寒さの影響もあってか、八ヶ岳山麓全体の観光客数は例年より少ないようだ。徳乃蔵は観光客の多い店ではないが、それでも同じような傾向が続いている。
しかしこんな閑散な時こそ、300年という歳月が詰まった徳乃蔵でゆっくりとコーヒーを飲みながら、聖なるエネルギーを放つ「月光の写真」と金龍様が
宿られる「龍の掛け塾」の前で、日頃の疲れを癒されてはいかがだろうか。春先以降、来客数が多くなっては、私もゆっくり話をさせてもらうことも出来なくなってしまう。
来館を予定されている皆さんには、2月の閑散期のチャンスを活かされることをお勧めする。
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冬鳥のジョウビタキ。(クリックで拡大)
徳乃蔵の前庭には餌を求めて、シジュウカラやジョウビタキもやって来る。
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ポロハウ長老から託された「徳乃蔵の使命」
来客が帰られた後、カフェルームで一人暖を取っていた時、昨年、ポロハウ長老が来館されて「徳乃蔵の使命」について語られたことを思い出していた。長老は「人心が穏やかならざる状況が近づ
きつつある今、徳乃蔵を心を癒す場として役立てて下さい。それもまたあなたの大事な使命です」とメッセージを残していかれた。
長老は江戸時代に建てられたこの蔵が、徳乃蔵として今日こうして多くの来館者を迎えているのには、深い意味と役割があることを語って下さった。長老の言によると、浅川家の座敷蔵として徳乃蔵がこの場所に建てられ、その後
およそ200年の歳月を経た後、私が浅川家に産まれて今日に至ることはシナリオとして描かれていたようである。
15年間にわたって世界を飛び回り様々な人に出会って、「人類の歴史」や「霊界の存在」「宇宙とUFO」などに関する十数冊の著書を書き上げ、数百回にわたる全国講演を行うなどして課せられた使命を果たし終えた後、こうして徳乃蔵を皆様のためにオープンすることになったのも、シナリオの一つであったようだ。
「世界に散った龍蛇族よ!」を書き上げるためにニュージーランドの地を訪ね、長大な歴史を持つワイタハ族の長老に案内されて聖地を巡り、マラキーホ山の山頂で数百体の龍たちを解き放つためのセレモニーを成就させてもらえたのも、決して偶然ではなかったのだ。
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徳乃蔵と結ばれたヒネコロワイ湖
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「徳乃蔵が波動が高いのは八ヶ岳とマラキーホ山とが結ばれているからです」と長老は語っておられたが、どうやら徳乃蔵が高い波動に包まれ、心の癒やしの場となっているのは、マラキーホ山の山頂にあるヒネコロワイ湖から聖なるエネルギーが注がれているためであったようだ。京都に住む和宙君が遠く離れているのにも関わらず、徳乃蔵を切り絵展の会場に選んで頂いたのは、彼にはそれが分かっていたからではないだろうか。
伽耶徹(かや
とおる)画伯が描かれた素晴らしい龍神様の絵が、徳乃蔵に送られて来たのもまた、ニュージーランドから再び日本に戻って来られた金龍様が身を置かれるために必要であったからに違いない。画伯がこの絵を描かれた時には、私はまだ著作活動と講演会の真っ最中で、徳乃蔵のオープンなどまったく頭の中になかった時であっ
たことを考えると、天はシナリオ完遂のために何年も前から手を打たれていたことが分かる。それにしても、なんとも不思議な巡り合わせである。
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この写真を見るたびに長老の語られた「徳乃蔵の使命」を思い出し、身が引き締まる。
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