世界を駆け回った10年を越す探索の旅で、私が手にした最大の成果は、カブレラストーンと呼ばれる人類史を覆す驚異的な線刻石の存在を世に広めたことであった。それはインカ文明より遙か以前、人類史に登場しない太古の時代に、高度な文明が存在したことを示す驚くべき石であった。
そんなカブレラストーンとの出会いは今から12年前。 ナスカの地上絵やマチュピチュなどを探索するために、何度となくペルーを訪れていた私に、天が与えて下さったご褒美であった。
なんと言ってもこの石の凄さは、ティラノサウルスなどの恐竜と戦う人間の姿や、飛来する彗星を望遠鏡で観測する様子、さらには、心臓の摘出手術や脳外科の手術の
場面が鮮明に刻まれていることである。
私がカブレラ博物館を訪れた時にはカブレラ博士は既にお亡くなりになっておられたが、幸いにも後継人となられたお嬢様のエウヘニアさんと親しくさせて頂いたお陰で、新たな石の発掘調査をさせて頂いたり、年代鑑定の場に同席させて頂くことが出来た。その様子はフジテレビの「奇跡体験!アンビリバボー」で放送されたのでご覧になられた方もおられるかもしれない。
カブレラストーンについての詳細は『イカの線刻石』(ヒカルランド刊)を読んで頂くことにして、先ずは来館され、見事なまでに彫られた驚愕の絵図を
ご自身の目でしっかりご覧になられ
ることである。実物大に近い写真を見れば、カブレラストーンが人類史を覆すいかに重要な石であるかを実感することが出来るはずである。
展示された石の撮影には長い時間と特別な条件が必要であった。 1メートルを越す石を撮影する際には、その全体像を鮮明に捉えるためによりよい角度からカメラを向けねばならない。時には大変な重量の石を動かさねばならない。 それには何人かの手がいる。 下手に動かして傷をつけたり破損するようなことがあったら大変だ。
撮影にはさらに特異別な環境が必要であった。 部屋に照明がついていると石の上面がてかってしまい、また一部の側面が暗く写ってしまうからである。 そのため、石に刻まれた数百本の線を完璧に写すには、部屋の照明は全て落として暗闇の中で撮影しなければならない。 それには、照明下では400分の1秒のシャッター速度を10秒まで遅くしなければならない。
その間、三脚を据えて
じっと待つのだが、実はこれが大変なのだ。 というのは、その間カメラが少しでも動いたらピントがぶれて写真にならないからである。 実はカブレラ博物館はイカの町の中心街にあり、博物館の前は車の通行量
が多いのだ。 そのため博物館の前を大型車両が走ると床が揺れてしまい、またはじめからやり直しとなってしまうことになる。
撮影した石の数はおよそ50個、一つの石を6〜7枚づつ撮影したため、撮影枚数は300枚を越すこととなった。 もちろんその間、博物館は休館して頂くことになる。 3日間に及ぶ休館である。 そんな我がままが許されたのは、館長であるエウヘニアさんが特別の計らいをして下さったからである。
スタッフの方から後でお聞きした話では、そのようなことは前にも後にも一度もなかったようである。 どうやら私は世界一幸運な男であったようだ。 その後、「カブレラストーンを守る会」の7人のメンバーの一人に加えて頂いたことは、私の人生にとって最上の喜びであった。
今回はそうした経緯の中で撮影した写真の中からこれはと思うものを選び、発掘現場のイカ砂漠の写真などを交えて26枚を展示させて頂いた。
撮影の経過を知って頂ければ、世界広しと言えども、徳乃蔵以外で見ることの出来ない写真展であることが、お分かりになられるに違いない。
展示した写真の大きさは「A3ノビ」サイズが中心で、驚異的な作品4点については「A2」サイズと「全紙」サイズの大型写真で展示しているので、現物の大きさに近いサイズ
で迫力満点である。 写真から放射されるエネルギーは相当強いので、敏感な方は部屋に入った際に生命エネルギーの強さに一瞬圧倒されるかもしれない。
今回の写真展は、これまで徳乃蔵で開催された催し物の中で、和宙君の切り絵展に次ぐ重要なイベントとなるはずなので、読者におかれては万難を排してご来館頂
きたいと思っている。 一人でも多くの読者が隠された歴史の真実をご自身の目で確認し、写真を介してカブレラストーンの発する聖なるエネルギーを受けら
れることを願っている。
展示している写真の中から6枚を掲載した。 展示作品とは写真の大きさがまったく異なるため、あくまで参考程度にご覧頂きたい。