核兵器禁止条約への参加を見送った
愚かな安部政権
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被爆体験者・サーロー節子さんの演説が終わった後、彼女は涙ぐむ人、
嗚咽(おえつ)する人 、感極まって抱きつく人々 に取り囲まれた。(朝日新聞)
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最近の我が国の政治の動きを見ていると、安部一強によるやりたい放題が度を越していてイライラがつのってくる。 学校法人「加計学園」問題に関しても
、安部首相夫婦が関与していることは明らかなのに、野党の力なさもあって一向に責任の追及まで進まずにいる。
それにしても、最近の政治家のやることを見ていると、この国の未来を託せそうな人物の姿が見当たらなくなってしまったのが気がかりだ、 米国の意のままに動かされている感じで、このままでは
今以上に米国の属国と化してしまい、大事な場面で日本としての主張が出来ぬ状況に陥ってしまう。 その最たるものが、 世界で唯一の被爆国でありながら
、国際的な取り決めを目指していた「核兵器禁止条約」への参加を見送ったことである。
今月7日、核兵器全廃を目指す人々にとって長年の夢であった核兵器禁止条約が国連で採択されたというのに、世界唯一の被爆国である我が国が参加していないのだからあきれる。
米国やロシアなど核保有国は自分たちが持つ核兵器を手放したくないため参加していないが、核兵器の恐ろしさをどの国より知っているはずの日本が
不参加国に入っているののだから、あきれてものが言えない。
なにゆえ参加をしなかったのか? 全て米国の意のままに動かされてきている安部政権にとって、トランプ政権に逆らうことが出来ず、米国の核の傘に依存していることを理由に、我が国にとって益なしと判断したからである。
米国との関係がどうであろうと、世界で唯一の被爆国である我が国が核兵器廃止の動きに背を向けてしまったことは、なんとも恥ずかしき行為であった。
しかし、唯一の救いはそんな愚かな政治家たちの考えとは反対に、核兵器禁止条約の締結に向けて長期にわたって、先頭に立って活躍し
続けて来た人々がいたことであった。 それは、広島と長崎の被爆者団体に所属する人々であった。 被爆者たちの悲惨な体験と悲痛な叫びが、新たな国際ルール
の締結へと導いたのだ。
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この悲惨な姿を再び目にすることのないことを祈るのみだ
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だからこそ、生涯をかけて核兵器禁止条約の締結に力を注いできたカナダ在住の被爆者、サーロー節子さん85歳が核兵器禁止条約が採択された後、国連本部で最後
を締めくくる演説を行うことになったの
だ。 彼女はがれきと化した街の中で、眼球が飛び出し、皮膚が垂れ下がったなんとも悲惨な惨状や、ご自身の姉と4歳の甥が大やけどを負い、
死へと向かう姿を目にしていたのだ。
「亡くなっ
た数十万の人々、彼らは皆、それぞれに名前を持っていました。 そして、みな誰かに愛されていました。 私はこの日を70年以上待ち続けていました。 核兵器はこれまでずっと、道徳に反するものでした。
そして今日からは法律に反するものになったのです。 一緒に世界を変えていきましょう」
彼女の体験と悲痛な訴えが終わると会場は総立ちとなり、盛大な拍手がしばらく鳴りやまなかった。 会議に参加していた人々の心を打ったのだ。 その後、彼女の周りには
多くの人々が集まり、涙ぐむ人、嗚咽(おえつ)する人
、感極まって抱きつく人々 ・・・・・、それは、数十万人の被爆者と核兵器の恐ろしさを知る人々の長年の願いが叶った
喜びの瞬間でもあった。 私はその時の映像を見た瞬間、政治というものがいかに国民の心とは裏腹なものであるかを感ぜずにはおられなかった。
なぜ日本のマスコミはこのニュースをトップで扱わないのか。 日本政府のおろかな行為を厳しく批判しないのか。
兵今回の核兵器禁止条約は米国との関係を維持することとは、別次元の問題ではないのか。 なんとも情けない限りである。 どうやら我が国のマスコミもまた「闇の勢力」の手のうちに入ってしまっているようだ。
徳之蔵に来られた外国の方が、核兵器禁止条約が締結されてよかったですねと言われた時、素直に喜びを表すことが出来ず、政府のとった措置はなんとも恥ずかしい限りですと釈明しながら応対したことを、私は生涯決して忘れることはないだろうと感じた。 金や地位・名声が全てだとする政治家たちを国会に送ったのは、他ならぬ自分たちであることを考えると、そう言わざるを得なかった
のだ。
原発を再開し続ける安部政権は、国家を破たんへと導く
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先月、川内原発に次いで再開された浜岡原発
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我が国の核問題に対する対応の情けなさは、原発問題にもそのまま表れている。
あれだけの原発事故が発生し6年が経過した今でも,福島原子力発電所の修復や汚染物質の撤去は一向に進んでおらず、未だにメルトダウンした原子炉
周辺には全く手がつけられない状態が続いている。
こうした状況を見てみると、
原子力発電所が崩壊した時には、もはや現在のテクノロジーでは安全な状態に復元することが不可能であることは明白である。
ならば、原発による電力の発電行為は人類が利用してはならないものであることは明らかである。 それなのに、原発事故を自ら体験しその恐ろしさ
を知り、事故に対する対処方法がないことを知るところとなった日本で、一旦停止した原子力発電を次々と再開し始めているのだから、驚きだ。
かってドイツのメルケル首相が訪日され、安部首相と会談された際に、原発全廃を進めるべきではないかと助言を頂いたにもかかわらず、彼はまったく耳を貸すことなく、原子力規制委員会が安全性に問題がないというのを理由に、鹿児島の川内原発を皮切りに次々と再開を進めている。 このままのペースでいくと2〜3年以内に再開する原発はゆうに10基を越すことになることは間違いない。
海に囲まれた狭い国土の中に、20基を超す原発が存在していることを考えると、日本という国家と日本民族の存亡がかかっていることだけに、なんとも恐ろしい話である。 原子力規制委員会のメンバーが安全だと言っているのは、地震の発生などの自然災害の規模がある限界内に収まることを前提にしているわけで、これから我々人類が遭遇する災害が、人類が経験したことがない規模になってくる
可能性が大きいことを考えれば、決して安全だと断定出来るものではないはずだ。
今回の北九州を襲った前例のない豪雨を見れば、我々がこれから先遭遇する自然災害が、これまでの常識が通用しない規模になろうとしていることが分かるはずだ。 それに最近のサイバー攻撃や北朝鮮の行動を見れば、いつ我が国の原発がその攻撃対象になるか分からなくなって来ていることは事実である。 さらには
、神国日本を滅ぼすことを目論んでいる輩がいることも、先の3・11東北大地震を体験した我々は分かっているはずではないか。
そうした状況を考えたら、再開どころか全廃に向けて国が行動を起こさねば、我が国がこれから先、存続し続けることが出来なくなって来る可能性は決して小さくないのだ。 そうした原発の恐ろしさを感じているからこそ、ドイツやスイスなどヨーロッパ諸国の中
の幾つかの国が、原発全廃に向かって動き出しているのだ。 それなのに、なぜ被爆国であり被災国である我が国がそうした行動をとろうとしないのか。 真剣に考えないと、後の後悔先に立たずとなってしまうかもしれない。
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