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米国が背負った二つのカルマ @
米国が背負った二つのカルマ A
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海水温上昇がもたらす異変 @
海水温上昇がもたらす異変 A
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米国が背負った二つのカルマ @

 罪なき市民を狙った原爆投下と
    B29による非人道的無差別爆撃の真相

 
 

 
 


日本に対する無差別爆撃機として使われた世界最大の爆撃機・B29

 
 

今回の「米国が背負った二つのカルマ @,A」には空爆による残虐な死体の写真が、最下段に3枚添付されているので、この種の写真に抵抗がある方は、ご覧になられないで頂きたい。

本日、8月15日は第二次世界大戦の終戦記念日である。それに因(ちな)んで歴史を振り返る意味も込めて 、米軍による原爆投下と無差別的な焼夷弾爆撃の真相をお伝えすることにした。 戦争という行為は国や国民が背負うことになる、最も大きなカルマの要因の一つであることを知って頂けたら幸いである。

世界の覇権国家・米国が今、他に類を見ないほどの自然災害や銃の乱射事件などに遭遇していることは、読者は既に十分にご承知のはずである。 それは決して偶然的な現象ではなく、「カルマ」と呼ばれる負のエネルギーによってもたらされているものと、私は思っている。

そのカルマを産んだ主だった要因となっているのは次の2点である。一つは、米国大陸に長い間暮らしてきた先住民インディオたちの土地を奪ったばかりか 、その多くを殺害し、文化を破壊、言語まで奪って来たことである。

もう一つの要因は戦争に関することである。第二次世界大戦において日本という国を戦争に誘い込み、原爆投下 と焼夷弾爆撃により罪無き一般市民を大量虐殺したことと、終戦後に覇権国家となった後、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争など、ほとんどすべての戦争に手を染め、多くの人々を悲惨な状況に陥れて 来たことである。

中でも日本に対して終戦直前の1945年3月から行われ始めたB29爆撃機による焼夷弾爆撃と、広島と長崎への原爆投下は、幼い子供や女性たちを含めた罪無き一般市民を標的にした無差別爆撃であったがゆえにその罪障は巨大で、そのカルマをこれから先、多くの国民が様々な形で解消していくことになりそうである。

それについては、2年前にNHKスペッシャル「本土空襲全記録」とBS1スペッシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか」で放送されたので、記憶されている方もおられることと思うが、戦後74年が経過した今、遠い過去のこととして忘れ去ってしまっている方も おられるかもしれないので、改めて非人道的な無差別爆撃の実態と、我が国がそうした被害に遭遇することになった要因についてお伝えすることにした次第である。

 
 

 
 


東京大空襲から始まった一般市民を狙った無差別攻撃に使われたB29爆撃機

 

 
 

 
 


巨大なカルマを背負って旅立ったルーズベルト大統領とアーノルド将軍

 
 

ハワイの真珠湾攻撃によって始まったとされている日米大戦。 開戦の真相については2回目の記事の最後に記しておいたので読んで頂くことにして、先ずは開戦当時の米軍の実態についてお伝えすることにする。

当時の米軍には海軍と陸軍の二つの軍しかなく、今や世界に冠たる米国空軍は当時、陸軍の下部組織として存在していたのである。その 「陸軍航空軍」の司令官であったヘンリー・ハップ・アーノルド将軍は航空軍の独立を画策しており、それを成し遂げるには航空軍部隊によるめざましい功績を挙げること が、なにより重要だと考えていた。

その功績の一つとして考えたのが、航空軍によって敵国日本を壊滅的状況に追い込むことであった。そのために求めたのが飛行時間が長く、飛行高度の高い大型爆撃機であった。戦争も後半に入った頃 、その欲望を満たすべく膨大な資金を投入して誕生したのが、飛行距離6000キロ、飛行高度1万キロという世界に類のないB29爆撃機であった。

その爆撃機の製造を命じたのは当時の大統領ルーズベルトで、要した開発費は30億ドル、現在の価格で言うなら4兆円規模の莫大な額で、通常の開発期間に比べれば遥かに短い年数で完成させたのである。 そして、 ヘンリー・アーノルド将軍は本来なら陸軍なり海軍に与えられるはずのB29爆撃機のすべてを、大統領や高級官僚を言葉巧みに説得し、陸軍傘下の 航空軍で手に入れることになったのだ。

こうして手に入れたB29爆撃機で日本本土を攻撃するには、往復距離が5000キロ未満の軍事基地が必要であった。目を付けたのがマリアナ諸島のサイパン島で、 日本軍が駐留していたそのサイパン島を陥落させたのが1944年の7月。 こうしてアーノルド将軍が目指した日本本土の兵器工場への爆撃のための条件 は整い、将軍が最初の攻撃目標としたのが 、我が国が誇る艦上戦闘機・ゼロ戦のエンジンを製造していた東京武蔵野市の中島飛行機工場であった。

 
 

 
 


1944年7月、東京から2400キロの太平洋マリアナ諸島のサイパン島が
陥落し、米空軍のB29爆撃機による日本本土出撃が可能となった。

 
 

こうして1944年11月24日、111機のB29爆撃機がサイパン島から出撃するところとなった。その成果はどうであったか? 目標の中島飛行機工場に命中した爆弾はほぼゼロ。改めて3日後に出撃した81機は雲で工場を見つけることすら出来なかった。その後、12月3日に行われた86機による3回目の爆撃でも命中率はわずか7%。 こうして何度か爆撃は行われたが命中率は10%を超えることはなかったのだ。

それには理由があった。我が国の1万キロ 上空には、時速200キロに達する冬の激しいジェット気流が流れているため、まっすぐに飛行することが難しく、また季節が冬であったため、雲の発生日が多く目標地点を確認することが難しかったのである。

その結果、先輩格の陸軍や海軍には一機も配備させず、全てを自身の 航空軍で手にしたアーノルド将軍に対する反発は大きくなり、激しい非難にさらされるところとなった。そのため、アーノルド将軍はなんとしても一日も早く、B29による手柄を立てる必要に迫られるところとなったのだ。

功を焦ったアーノルド将軍たちは、軍事工場や発電所など敵の中枢をピンポイントで爆撃し、敵の戦闘能力を奪う作戦に使うはずだったB29爆撃機をとんでもないことに使うことになったのだ。それは、焼夷弾を使った都市部への「無差別爆撃」であった。つまり、爆撃目標を飛行機工場に絞らずに、その周辺一帯の都市を無差別に爆撃する という恐ろしい作戦であった。 

その非道な作戦によって、何百万という住宅や商店を焼き払い、何十万人という罪のない多くの一般市民の命を奪うことになったのである。それを実行することになったのが新しく任命されたカーチス・ルメイ将軍。 彼はドイツの都市部への無差別爆撃で多くのドイツ市民を殺戮して来た男であった。

 

東京大空襲始まる

 
 

 
 


始まった「東京大空襲」

 

 
 

 
 


2時間半にわたって東京の下町に32万発の焼夷弾を投下。

 

 
 

 
 


この「東京大空襲」によって下町のほとんどが延焼し、
12万人を超える罪無き一般市民が犠牲となったのだ。

 

 
 

 
 


この悲惨な写真をしっかり見て頂きたい。
難を逃れた建物はないも同然。これでは一般市民の死者が12万人を上回るはずだ。

 
 

カーチス・ルメイ将軍の指揮のもと、終戦を迎える5ヶ月前の1945年の3月10日、5000m以下に飛行高度を下げた325機のB29爆撃機は、大量のナパーム弾と呼ばれた焼夷弾(しょういだん)を積んで130万人が住む東京の下町の住宅街を狙って爆撃を開始。

魔の「東京空襲」の始まりである。2時間半にわたって32万7000発という信じ難い数の焼夷弾が投下 されたのだ。その結果、下町の人々は一夜にして住宅のほとんどを焼かれ、市民の死者の数は12万人を超えるところとなった。 東京空襲はその後も続けられ、その回数は100回近くに達するところとなったのだ

世界最大級のB29爆撃機・300機による一般市民が暮らす街を狙った無差別爆撃は、最悪の非人道的行為であったが、そうした爆撃行為にはさらに恐ろしい面が隠されていたのだ。実は投下した焼夷弾は 、住宅街を焼き払うことが出来るガソリンを内蔵したものに改良されていたのである。

また航空軍は焼夷弾爆撃による焼失効果をさらに上げるために、自国に日本の下町の家屋と同様な2階建て建物を何十棟も造って、それをモデルにした実験を何度も 何度も繰り返していたというのだから、なんともはや恐ろしいことである。 これこそが戦争という行為の裏に隠された非人道的行為の恐ろしい実体なのだ。

その後、一般市街を狙った無差別爆撃は日本全土へと広がっていくことになった。4月の東京空襲のあと、その効果のほどを知った米軍は12日から19日にかけ、名古屋、大阪、神戸と次々と大都市 を焼き払っていったのである。狙われたのは皆住宅街。 軍事施設などあろうが、なかろうがお構いなし。わずか10日間で使われた焼夷弾は150万発 、使われたナパーム弾の重量は1万トンに達していた。死者の数は何万人規模となった。

その後、6月12日には九州の最南端の軍事工場など全くない鹿児島が爆撃され、2000人の一般市民が殺害。さらにその後も日本全国60を超す地方都市が次々と狙われて空爆の回数は2000回に達し、投下された焼夷弾の数は2040万発。 その結果、無差別爆撃による子供や女性を含む一般市民の犠牲者数は広島と長崎への原爆投下による死者数21万人を上回る25万人に達したのである。まさに、歴史に残る残虐非道な爆撃となったのである。 

私は4歳の頃に両親と一緒に玄関先で見た40キロ離れた甲府の街が燃えている光景を、今でもはっきり覚えている。後日、当時甲府に住んでいた叔母から聞かされた悲惨な状況は 、なんとも恐ろしいものであった。

 
 

 
 


一連の写真を見ると言葉が出ない。

 

 
 

 
 


 

 
 

 
 

 

 

 

  次回に続く

 

 
 




 

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