米国が背負った二つのカルマ A
ルーズベルト大統領が狙った
日本への原爆投下
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戦争による一般市民の殺傷に最後のとどめを刺した原爆。さぞやルーズベルトは
喜んだことだろう。 そんな彼が今いる世界があなには想像できるだろうか。 |
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これだけの被害を受けて、我が国は1945年初めごろから米国や英国に対して終戦に向けてのメッセージを送り始めていたのだが、両国政府はそのメッセージを受け入れようとしなかったのである。その要因の一つが、ルーズベルト大統領と英国のチャーチル首相がドイツ軍からノウハウを得て作られた
「原爆」を日本で使おうとしていたからである。
第2次世界大戦といえばヒトラーの残虐行為が取り沙汰されているが、実はそれと同様な残虐非道な行為が米軍によって為されることとなったなったのである。
彼らがなにゆえ日本国と日本人に対しそうした行為を為したのか、その要因
を知るには、今から数万年前のレムリアとアトランティス時代に遡る必要がありそうである。
ムー大陸で栄えていたレムリア文明とそれを守っておられた龍神様を滅ぼしたのは、オリオン座から3次元世界の地球を目指してやって来た人々であった。彼らはアトランティス文明を築き、核兵器を使ってレムリア文明を滅ぼした後、やがて自分たちの文明をも滅ぼすこととなったのである。
最新情報ではそのとどめを刺したのはポールシフトであったようである。
その結果、アトランティスを統治していた指導者たちは霊界に戻った以後、その罪の大きさ故に1万数千年にわたって再生を許されず
、特別な霊的空間に閉じ込められて
、反省の歳月を送って来ていたようである。そして、再び地球文明がかってのアトランティス時代の科学力と同じレベルに達した段階で、彼らは再生を許されたのである。
彼らの多くは原爆や水爆を製造出来る環境が整った欧米諸国に再生し、霊界での
反省と学びによって同じ過ちを繰り返さないレベルに達したかどうか、テストされることになったようである。こうして再生した彼らの魂は大きく二手に分かれることになった。再び核の製造とその使用に進む人と、核の恐ろしさを自覚して核兵器に反対し平和運動に取り組む人々とにである。
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広島と長崎を地獄と化したB29に搭載された原子爆弾。
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転生者の中で核の製造と使用の道を選択した人々の比率は低かったものの、一部の人々によって再び原爆が製造され、ルーズベルト大統領の命により
、原爆投下という残虐非道な行為が行われることとなったのである。広島市への投下は1945年8月6日、長崎市への投下は8月9日。それにより発生した犠牲者の数は、幼き子供や罪なき女性など一般市民21万人余。
その後の被爆者の死者数を加えればその数はさらに多くなる。
今回の原稿書きの資料集めの最中に私が大きなショックを受けたのは、この2発の原爆投下の後もB29による地方都市への焼夷弾爆撃は続けられていたことである。山口県の岩国市や光市への空爆は終戦日直前まで行われ、
また250名の死者を出すこととなった秋田市に対する爆撃は、連合国側にポツダム宣言受託を通告した後に行われていたのである。
こうした爆撃を命じた軍幹部の人々の心は、もはや魔人と化し人間ではなくなっていたのだろう。もしも、ルーズベルトが言うように「原爆投下は戦争を終わらせるために必要不可欠の手段であった
」というなら、2発の原爆投下後は空爆は止めて日本軍の動きを見守るのが筋ではないか。それを、原爆投下後も無差別爆撃を続けていたということは、軍幹部にとって、大量の日本人殺戮が真の狙い
と化していたのではなかろうか。
こうして、2014年3月の東京大空襲から始まった罪なき住民を狙った非人道的な無差別爆撃は、1年半で2000回に達し、投下された焼夷弾の数は2040万発、打ち込まれた銃弾は850万発。そしてその犠牲者の数は25万人で原爆の犠牲者の数を上回り、焼夷弾と原爆による犠牲者数は合わせて46万人に達したのである。
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原爆投下後にも続けられた岩国市へのB29による無差別爆撃。
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空爆の対象は子供たちが学ぶ学校まで及んだ。
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我が国の背負ったカルマ、その刈り取りが行われた。
こうした戦争という名を借りた非人道的な行為によって、米国とそこで暮らす人々は国家としての大きなカルマを背負うことになってしまったようである。
歴史に残る原爆投下と無差別爆撃という残虐非道な行為を決断し実行したのは、ルーズベルト大統領やアーノルドなど軍部のほんの一部の人間であり、今米国籍を持つ99.99%の人々やその父母たちにはなんら関わりのないことであった。
しかしながら、米国が為した行為により発生したカルマは国家のカルマであるため、その国の国籍を持つ者はすべてそのカルマを背負うことになるようだ。これが国家のカルマ、民族のカルマの恐ろしさである。今、米国や共に戦った英国に住む人々が銃規制問題やEU離脱問題で国論が2分化し、
争いの日々が続いているのはそのためではないか、私にはそう思えるのだがいかがだろうか。
しかし、こうした国家のカルマ、民族としてのカルマは我々日本人にとって、決して他人事ではないのである。
なぜなら、我が国と我が民族もまた大きなカルマを背負っていたからこそ、あれだけの厳しい攻撃にさらされたのであって、決して偶然ではなかったからである。
実は我が国が現代史上初めてといわれる原爆投下と焼夷弾による無差別爆撃に遭遇したのにはそれなりの理由があったのだ。1938年から中国の国民政府の臨時首都となった重慶市に対して、
我が国の空軍は米国が為した無差別爆撃と同様な非人道的行為を為していたのだ。
ご存じない方もおられるかと思うが、
我が国は当時所持していた長距離爆撃機を使って重慶市に対して200回近く無差別爆撃を行い、1万人を超す一般市民に犠牲者を出していたのである。それはまさに現代史における最初の無差別爆撃であり、日本民族に大きなカルマを残すこととなったようである。下の写真を見て頂ければその悲惨な状況が分かるだろう。
重慶市では1938年から1943年まで、我が国の長距離爆撃機
による無差別爆撃で、1万人以上の犠牲者が出た。
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我々日本民族が背負った大きなカルマの要因はそれだけではなかった。日本列島に住むアイヌの人々を追い払い、命を奪い、その文化を消滅させたこと
も要因の一つであったようである。しかし、こうしたことは学者たちには理解できないことだけに、学校で教えられることなく、残念ながら多くの人たちが自分たちが背負ったカルマなど何も知らずに生きて来ているのである。
我々日本人は、こうした歴史の中で積んだカルマの刈り取りのために、米軍による原爆投下と焼夷弾による無差別爆撃に遭遇することとなった。
私はそう思っている。一方、米国が背負ったカルマも我が国と同様、先住民に対する残虐行為と他国に対する無差別爆撃
により発生したものであるが、その大きさの程は攻撃の規模や被害に遭った人々の数を考えれば、我が国のそれとは比較にならない程大きなものとなっているのではなかろうか。
こうしたカルマは決して米国や日本だけが背負ったものではない。今地上に暮らしているすべての国、すべての民族がみな地球という星に生まれて、魂の進化のための学びを続ける道中で背負っ
て来ているはずで、ただその大きさが異なるだけではなかろうか。
いずれにしろこれから先、全ての国、民族、個人は残された歳月の中で、各自の背負ったカルマの刈り取りを為していくことになりそうである。「カルマ」に対峙するものは「徳」 である。
幸いにもこうしたことを知った我々は、残された日々の中で背負った「カルマ」以上に「徳」を積んで、光り輝く「高次元世界」へ旅立ちたいものである。
なお、掲載した記事の数値の中に多少の誤差はあるかと思うが、お許し頂きたい。
掲載した写真は2017年に放送された「BSスペッシャル」と「NHKスペッシャル」から転載させて頂いたものであることを報告させて頂く。
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連合国側にポツダム宣言受託を通告した後も、米軍は無差別爆撃を続けていたのだ。
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「追記」
日米大戦は日本海軍によるハワイの真珠湾への奇襲攻撃によって始まったとされているが、それは本当だったのだろうか? どうやらこれも真っ赤なエセ事であったようである。それについて簡単に付記しておくことにする。
読者はご存じないと思うが、実は私は大学時代に海上自衛隊に短期間であったが入隊したことがあったのだ。横須賀港から護衛艦「けやき」で江田島に向かい、かっての海軍兵学校の跡に建てられた海上自衛隊幹部候補生学校で1か月間
にわたり、海上に投げ込まれるなどして様々な訓練を受けながら、自衛隊の方たちと共同生活を体験することとなったのである。
実はそのとき驚くべきことを耳にすることになったのだ。米国との対戦開始を知らす暗号であった「ニイタカヤマノボレ」は米軍に筒抜けで、日本海軍の真珠湾攻撃は事前に知られていたということであった。
米軍はハワイ在住の海軍部隊や市民、また戦艦などに被害が出るのを承知の上で、日本は奇襲攻撃という卑怯な手段をとった、として国民に対日戦争への参加を呼びかけようとしたのである。自国民の犠牲を開戦への手段に使ったというのだから、なんともひどい話である。こうした開戦に至る話が、決して作り話でないことを知る上で重要な記事を目にしたので、併せて掲載させて頂くことにした。
そこには、元アメリカ大統領ハーバート・フーヴァーと連合国軍最高司令官マッカーサーが「太平洋戦争とはいったい何だったのか」
について、3日間にも渡って話し合った内容が記されていた。その中でフーヴァー元大統領は次のように語っており、その言葉を聞いて、マッカーサーははっきりと同意したことが記載されていた。
「太平洋戦争は、日本が始めた戦争じゃない。あのアメリカの『 狂人・ルーズベルト 』が、日米戦争を起こさせたのだ。気が狂っていると言っても精神異常なんかじゃない、ほんとうに戦争をやりたくてしょうがなかったのだ・・・・・その欲望の結果が日米戦争になったんだ」
この記事を読むと、今回掲載した原爆投下に対するルーズベルトの欲望がまぎれもない事実であったことが理解できる。彼の魂は今
、最下層の地獄界で苦しみの真っただ中にあり、やがてチリに化すことになるようだと言われているが、どうやら至極当然の結末であったようである。
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横須賀港から護衛艦「けやき」で江田島に向かって出港。砲台の中央にいるのが私。
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