驚異のスーパーテクノロジーで
建造された大ピラミッド
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ギザ台地南東の砂漠地帯から眺めた三大ピラミッド。
左から、メンカウラー王、カフラー王、クフ王のピラミッドとされている。
( これ以降掲載されている写真は全てエジプト探索の旅で撮影したものである )
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前回記したように、今回の放送は大ピラミッドの中に巨大な空間を発見したという、驚きの事実を伝えるという意味では大変興味深いものであったのだが、問題はその大ピラミッド自体が今からおよそ4500年ほど前に、エジプトの支配者であったクフ王によって建設されたものであるという前提に立って制作されていたという点であった。
そのため、番組の進行係を務めた二人のアナウンサーが、「クフ王はこの空間を何のために造ったのでしょうか?」 とか、「空間内部にはクフ王のミイラがあり、大変な金銀財宝が保管されているかもしれませんね!」
といった発言を繰り返すところとなってしまった。
さらに残念だったのは 番組に登場したエジプト考古学者の河江肖剰氏までもが、その可能性もありますねとアナウンサーの発言に同調していて、「もしかすると、これまでの大ピラミッド=クフ王建造説を覆す驚異的な発見となるかもしれませんよ」と言った発言をすることは全くなかったことである。
河河江肖剰氏もかっての吉村作治氏と同様、大ピラミッド=クフ王建造説を絶対視しておられるようで、残念であった。
前回も記したように、大ピラミッドをはじめギザ台地に造られた三つのピラミッドは、古王国時代・第4王朝期の親子3代、つまり、クフ王、カフラー王、メンカ
ウラー王の建造物などではないのである。
こうした考古学者や歴史学者の説く学説の誤りは、なにもエジプトのピラミッドに限られたことではない。 ペルーのマチュピチュやナスカ地上絵が、歴史に登場するインカ人
やナスカ人などによって造られたとする学説もまた同様である。
だからこそ、こうした学者が唱える人類の歴史の過ちを正すために、私は役職を投げ打って、エジプトをはじめペルー、グアテマラ、メキシコへの探索の旅を
十数年間にわたって続け、我が目で見、我が肌で感じて、自説の正しかったことを改めて確認した上で、『
謎多き惑星地球 』を世に出すこととなったのである。 その点については読者は既にご承知のことと思う。
探索で明らかとなったその詳細については拙著を読んで頂くしかないが、
せっかくの機会なので大ピラミッドがいかに巨大で、高度なスーパーテクノロジーによって建造されたものであるかを理解して頂く
と同時に、学者が主張するクフ王説がいかにあやふやな根拠に基づいているも
かを知って頂くために、その要点をお伝えすることにした。
驚異的な石の数とその重量
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目の前に立ちはだかる巨大な石壁を見上げていると、その迫力に圧倒されて
呆然としてしまう。 その感覚は2度、3度と回数を重ねても変わることはなかった。
それにしてもこの巨大さは「凄い!」 の一語に尽きる。 これだけ石造物が、「方位」
や 「水平度」、それに 「底辺の長さ」 において、誤差が無いに等しいほど正確に
造られているというのだから、そのずば抜けた建造技術にはただ舌を巻くばかりである。 |
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エジプトのカイロの郊外にあるギザ台地に立つ三つのピラミッドのうち最も大きいピラミッドが、およそ4500年前にクフ王によって建造されたと信じられている大ピラミッドである。 この大ピラミッドに使われている石の数は少なくとも300万個はあるだろうと言われている
。 またこれらの石とは別に、我々は目にすることが出来なくなったしまっているが、ピラミッド表面には5万個を超す化粧石が使われている。
300万個の石の一つの大きさは大小様々だが、外壁を形造っているもので見る限り、80センチ前後の2トン前後の石から、から2〜3メートル
の10トンを超える石まで様々であるが、地上に近い場所には200トンを超す石も使われている。 また、地上40〜50メートルの高さにある「王の間」や「重量軽減の間」に
は、60〜80トンの巨大な花崗岩が使われている。
それではまず、それらの石を何処からギザ台地まで運
んだのかを考えてみよう。 本体に使われている石はギザ付近に産出する石灰岩を用いているが、表面を覆うために必要な5万3000個の白色石灰岩の化粧石(表石)は、ナイル川を渡った15キロ
程先から運ばれたものである。
問題なのは、「王の間」を形成する100個ほどの花崗岩の採掘場所である。 花崗岩はギザ台地周辺には全くないため、これらの石はすべてアスワン
地方から運ばれており、その距離は1000キロに達する。 原石の重量は数百キロはあったと思われるが、それだけの巨石を100個、なんと東京から九州までの長大な距離を運んでいるのである。
そのようなことが、文明開化後の間もない時代にどうやって出来たというのか、クフ王建造説を唱える学者には是非とも説明してほしいものだ。 数トン
〜数百トンの石を積んでナイル川を渡った方法や、ドリルで穴を開けるのも大変な堅い花崗岩を切り出した方法もまた教えて頂きたいものだ。
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下段に使われている石がかなりの大きさであることは、人の姿と比べたらお分かりになるだろう。
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次なる問題は、ギザ台地に運ばれたこれらの石をどのような手段を使って積み上げたかである。 大方の学者が認めている積み上げ方法はスロープ方式と呼ばれる方法で、
レンガと砂で作った斜面(スロープ)を利用し、板状のものの上に石を載せてロープで引き揚げるという、言うならば人力による「エンヤートット
」方式である。
しかし、この「エンヤートット」方式には、実は学者たちは隠し続けているが重大な問題点が隠されているのである。 その一つは、この方式では運べる石の重さが
、せいぜい20トンクラスまでが限界であるという点である。 それ以上の重さには砂やレンガが耐えられないのである。
ところが、使われている石の中には、20トンどころか80トン、100トン近い石もあるのだ。
その難問を解決するには、砂とレンガの代わりにピラミッドに使う石灰石を利用するしかないと言うのが、現代の土木学者の考えである。 しかし、そんなことをしていたらスロープを作るために、別の石積みのスロープを作らねばならなくなってくる。
スロープ方式には更に大きな問題がある。 それは、石を引き揚げるスロープの傾斜角度(勾配)である。 土木学の専門家によると、人間の力で巨石を引き揚げるためには、
傾斜比率は最低でも1:10にする必要があるとされている。 つまり
、10メートルの高さまで引き上げるには100メートル先からのスロープが必要となって来るというわけだ。
そうなると、140メートルの頂上部にまで運ぶとなると、高さ×10倍=1400メートルの長さのスロープが最低限必要
となり、その体積はピラミッドとほぼ同じになってしまう。 さらに「重量軽減の間」の60〜80トンの石を運ぶために傾斜角度を緩やかにしようとすると、スロープの長さは2000メートル近くが必要になって来る。 ところが、スロープがそんな長さになれば、その先端はナイル川に達してしまい、スロープそのものを造ること自体が出来なくなってしまうのだ。
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南壁の1段目と2段目を形成している石は、横幅7メートル、高さ2.7メートル、
奥行きは4〜5メートルはあるので、その重量はゆうに200トンを超えている。
200トンと言えば、小型乗用車約300台に匹敵する重量である。
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隣に立つ第2ピラミッドには、更に巨大な巨石が使われている |
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実はこのスロープ方式に抱えた問題は、現代の最先端の土木技術をもってしても解決でき
ずにいるため、我が国の大林組という大手ゼネコンがピラミッド再建計画を立案した際には、最後の10段とキャップストーンの据え付けには、軍事用ヘリコプターを使うしかないと結論付けているのだ。
頂上部のキャップストーンの設置に関しては、それを引き上げる人々の立つ場所がないという点からも、ヘリコプターに頼ることになったようである。
まさか、引き上げ手が空中に浮かんで引き上げるわけにはいかないからである。
考えられないことであるが、万、万が一、
古代の人々が知恵を絞ってこうした問題の全てをクリアーし、引き上げることが出来たとしても、完成までに有する年数の問題は残ることになる。
クフ王の在位年数はおよそ30年とされている。 王の位についてすぐに建造に着手することなど出来るわけがないし、出来上がったその姿をおのれの目の黒いうちに見ようとしただろうから、建造年数は20年
を超えるわけにはいかない。
しかし、もしも積み上げる石の水平度や方位に狂いのないことを確かめながら、1日に石の積み上げを100個づつやり遂げることが出来たとしても、300万個となれば、ゆうに80年を超す歳月が必要になって来る
。 80年となると、クフ王からメンカウラー王まで3代の在位期間となってしまう。 ならば、あとの第2、第3のピラミッドはいったい誰が造ったというのだ。
積み上げた300万個の石は方位と水平度、傾斜角度などを、一つ一つを正確に測定した上でないと
積み上げれることは出来ない。 もしも少しでも狂いがあったら、230段を積み上げた段階で、中心点が狂ってしまいキャップストーンを載せることが出来なくなってしまう。
5万個を超える化粧石の設置はさらに大変だ。 接続部は一寸の隙もないほど密着状態で積み上げられているからだ。 そうした点を考えると100年
かかっても無理だったというところが真相ではないだろうか。 それにしても学者というのはなんとも
無責任な人々の集まりであることかと、改めて感心させられる。
読者の中には、立派な学者先生が異を唱えずに「大ピラミッドクフ王建造説」を説くからには
、それを裏付ける確かな証拠が幾つかあるに違いない、と思っておられる方もおられるかと思うので、その点については、次回に記すことにする。
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化粧石の接続部は寸分の隙間もなく造られおり、それが最上段まで
続いていたというから、そのテクノロジーの凄さにはただ、ただ驚きである。
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