国連の支援国際会議で拠出決定
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燃え広がる村々を去って避難する ロヒンギャ族の人々 (ドイツZDF)
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暗いニュースや悲惨な情報を書き続ける毎日であるが、今回は暗く悲惨な中にも、小さな「希望の灯」が見える記事を書くことが出来て幸いである。
かってのビルマ、現在のミャンマーで暮らす少数民族ロヒンギャ族が、武装勢力・アーサー(ARSA)の警察や軍の施設への襲撃をきっかけに始まった政府軍の一掃作戦によって、家を焼かれ隣国バングラディシュに逃げ延びる事態となったことは、既に「ロヒンギャ族の悲劇
@」、「ロヒンギャ族の悲劇 A」でお伝えして来た通りである。
上の写真は隣国バングラディシュに着の身、着のままで避難するロヒンギャ族の人々と、避難した
河の対岸から眺めた、自分たちが暮らしてきた村々が焼き払われる悲惨な光景である。 866ある村の内288の村が焼かれてしまったというから、ロヒンギャの人々は3分の1が家を失ったことになる。
イギリスBBCテレビで、家が焼き払われてその炎の中で命を落とした母親を残し、村の人々と共にバングラディシュに逃れて来た一人の少女とのインタビューが放送されていた。 その中で、彼女は次のように語っていた。
「彼ら(ミャンマー人)は全てのイスラム教徒を殺しています。 無実のロヒンギャ人を虐殺しています。 私たちは自分たちの土地で、常に劣った市民として蔑視(べっし)されて扱われてきました。 彼らはそんな私たちに止めを刺したのです」
。 少女の語る言葉だけに強く胸を打つ。
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この少女の語る言葉は重い。 決してミャンマー国民が聞き流しできるものではない。
(イギリスBBC)
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ロヒンギャ族の歴史
ロヒンギャ族の歴史をたどると、19世紀の大英帝国全盛時代にインドに続きビルマを征服したイギリス人は、インド東部からイスラム教徒の労働者を連れて来てビルマで働かせた。 その後、大英帝国が滅び
、イギリス人たちがビルマから去った後、イスラム教徒たちは現在の海沿いの地・ラカン州に留まることになった。
それが現在のロヒンギャ族である。 彼らは、ビルマに留まったものの法の保護から外され、身元証明書も与えられず、選挙権も所有権もない状態で今日に至っている。
こうして人間扱いされない彼らは、殴られたり蹴られたりされることは日常茶飯事。 時には仏教の僧侶からも同じ仕打ちを受けることもあったようである。
ミャンマー政府はロヒンギャの人々は隣国バングラディシュからの不法移民だとして、厳しい差別待遇を正当化しているが、バングラディシュが誕生したのは1971年、つい最近のことである。 彼らはそれよりずっと古くからミャンマーに住みついていたのだ。 しかも、イギリス人によって強制的に連れて来られたのだ。 この事実を知ればミャンマー政府が主張する差別の理由は、明らかに正当性に欠けているのが分かる。
そうした中で、数年前から厳しい差別に耐え切れず、周辺諸国に逃げ出す人々が出て来ているわけであるが、2〜3年前から多くの避難民が海で亡くなる
海難事故が多発し、それがマスコミで大きく取り上げられたことから、我々日本人もその悲惨な実体を知るところとなったのだ。
今回の大量難民の発生を受けて、国際社会からの強い非難の声が寄せられているのにもかかわらず、ミャンマー政府は自己弁護を続けるだけで事態は悪化し
続けている。 そのため、多くの住民の避難は今も続いており、避難民の数はこの2カ月だけで約60万人、それ以前に逃れた人々を加えると100万人に達している。 そして
、その避難民の60%が子供たちなのだ。
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治療施設に入ったものの、骨と皮と化した子供たちを助ける手段はない。 (イギリスBBC)
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「 助けてよ!!」 と訴える子供の声が聞こえて来るようだ。
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国際社会からの支援
隣国バングラディシュは避難所を拡大して受け入れ態勢を整えているものの、増加する一方の避難民を迎え入れる十分な施設は間に合わず、命かながら逃げ延びて
来た多くの人々は、今もなお食料
や飲料水にも不自由する日々を送り続けている。 中でも悲惨なのが、栄養失調や病気やケガで病院に運び込まれた幼い子供たちが、医薬品の不足のため十分な治療を受けられず、次々と命を失っていることである。
そうした子供たちを含めて、今バングラディシュに逃れた人々や、村に残ったロヒンギャの人々を救うため、23日、スイスのジュネーブで国連が主催する「支援国際会議」が開かれ、参加した35の国と機関から390億円の支援の申し出が表明されるところとなった。 我が国からの拠出金は18億円である。
国連の発表では、さらに100億円ほどの支援金が必要であるとのことであるが、とりあえずこれで、不自由な避難生活を送っておられる人々を救う、本格的な支援活動を始められることになったのは、うれしい限りである。 1日も早く厳しい環境下で避難生活を送っている人々や、病院で治療を待っている幼い子供たちに支援の手が届けられることを願っている。
今回この記事を書かせて頂いたのを機に、現地で治療に当たっておられる「国境なき医師団」のスタッフの皆さんのお役に立って頂けたらと思い、写真やカレンダー
の収益金や、お預かりした義援金に私の寄付金を合わせて、国境なき医師団に送金させて頂くことにしたので、ご報告させて頂く。
読者の皆さんとともに、ロヒンギャの人々が一日も早く人間らしい生活に戻れることを願えたらと思っている。
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恐怖心で泣き叫ぶ子供を必死に抱きあげ、避難する父親(上)と、
歩けぬ母親を背負ってぬかるみの道なき道を避難する青年。
この2枚の写真は着の身着のままで住み慣れた村を離れ、隣国に
避難することがいかに大変であるかを物語っている。 (ドイツZDF)
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