今日は愛猫チロの訃報のお知らせである。
間もなく24歳を迎えるところであった愛猫チロが、2日早朝にみまかった。 このところ、視力と聴力が衰え、歩行も困難な状況に陥っていて、遠からず別れの時が来るだろうとは思っていたが、とうとうその時が来てしまった。
私が会社生活から離れ、第二の人生に旅立とうとしていた頃我が家にやって来たチロ。 あれからほぼ4半世紀、私の新たな挑戦を見守り、陰から支えて応援し続けてくれたチロ。 海外から帰って来るたび、また講演会を終えて帰宅するたびにいつも玄関で 「お帰り
ニャーン」、「遅かった ニャーン」と迎えてくれたチロ。
原稿書きで深夜を過ぎると、足元に来て「もう遅いぞニャーン」「もう寝なけりゃだめだよニャーン」と鳴き、さらに1時間、2時間と続けていると、今度は机の上に飛び上がってデスプレイの前に座り、「もういい加減で止めなよ
ニャーン」
と原稿書きの終了を促してくれたことが何度あったことか。 それが一番多く繰り返されたのが、『龍蛇族直径の日本人よ!』と『世界に散った龍蛇族よ!』 を執筆した10ヶ月間であった。
私が成人して以降、一番長く共に時を過ごしたのはチロ。 その時間は妻や二人の子供との時間を遥かに上回るものであった。 今振り返って見て、その時間の長かったことを改めて思い起こすところである。 その間、どれだけ私の心を癒し、励まし、勇気づけてくれたことか。 思い返すたびにチロの役割の大きかったことを、しみじみと感じる。 今はただ感謝、感謝である。
まさに私にとって、チロは家族同様であると同時に、大恩人であった。 チロは若くして後ろ足を切断することとなり、長い間3本足の生活を送って来たわけだが、それは私の身代わりとなってくれたためであった。 チロが足を切断することになった要因が、私と同様のアキレス腱の炎症であったことを考えれば間違いない。
私が長い間、両足のアキレス腱痛を抱えながらも、世界中を飛び回り日本国内を駆けずり回ることが出来たのは、チロの身代わりがあったればこそである。 不思議なことに、海外取材など大事な時にはアキレス腱痛は一度も発症することがなかったのだ。 私がこうして第二の人生を生き抜き、為すべきことを今日までやり続けてこれたのは、まさにそのお陰であったのだ。
それを知れば、この世に為すべき役割や学びを持って誕生して来ているのが、人間だけでないことがお分かりになられるであろう。 猫はネズミ捕りのためにだけ生まれてきているのではない。、人の心を癒すという大役をも、になって来ているのだ。 今の殺伐として、悲しみや苦しみが蔓延した世の中を見れば、その役割の大きさを実感することだろう。
チロが見せてくれた「奇跡の別れ」
最後に愛猫チロが見せてくれた奇跡の別れについてお伝えしよう。 前日1日の夜にストーブの前でやすんだチロ。 明け方の4時ごろ様子を見たところ、用意した食事も水もとっておらず、ただひたすら横になっていた。 早朝になってもその状態は変わらず続いていたので、心配になったが時々寝返りを打っていたので、安心していた。
そして9時頃、いつものように息子たち夫婦と孫がやって来た。 チロの様子を見ると、いつものように娘のテルミーを何とも言えないほど心地よさそうに受けていた。 そのあと孫と二人で、「チロちゃん気持がよかったようだね」と、話をしていたところ、数分もしないうちに突然息遣いがおかしくなってきた。 急変を知らせに階段を駆け降りる孫。 パパとママが駆け付け体をこすり、チロ頑張ってと呼び続けているうちに、次第に呼吸間隔が長くなり、しばらくしてとうとう息を引き取るところとなった。
長い間一緒の人生を過ごして来た息子や、テルミーで体調回復に手助けをし続けて来た嫁、遊び相手になってくれた孫娘たちにお別れの挨拶をするために、皆がやって来る朝まで頑張っていてくれたのだ。 そうでなければ夜中のうちに旅立っていたはずである。
家族が皆揃うまで旅たちを延ばしていたのは、皆にお別れの挨拶をするためだったのだ。 家族がそろった後、わずか20分後に旅立ったことがそれをはっきりと示している。 猫も人間も魂の深さは何も変わらないのだ。 最後に、徳乃蔵に来られるたびにチロの様子を心配して頂いた皆様に、チロに代わって御礼を申し上げ、ご報告に代えさせて頂く。
これから先、何よりの楽しみは「光の世界」での、愛猫チロとの再会である。