「人類史を覆すカブレラストーン」展
 

 


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歴史の真実が刻まれた驚異的な図を、
     我が目で確かめられる読者は幸せである。

 
 

 
 


「恐竜との共存」「心臓摘出手術」「天体観測」といった驚異的な絵が彫られた石。
実物大に近い写真を見ることが出来るのは世界でただ一カ所「徳乃蔵」だけである。

 
 

早いもので1月も今日で終わり、いよいよ明日から徳乃蔵がオープンします。なお2〜3月は金、土、日、祭日だけの営業となり 、開店時間は11時〜17時となりますので、お間違えのないようにご注意下さい。

今年初めのギャラリーでは「人類史を覆すカブレラストーン」展を開催します。 今回の展示は3年前に続いての2回目ですが、この石の持つ他に類のない重要性を理解して頂き、一人でも多くの方にご来館頂けたらと願っています。

これからお読み頂く私とカブレラストーンとの出会いの経緯を知って頂いたら、皆さん自身も、カブレラストーンとは何らかのご縁があって今回の写真展の開催を知ることになったことを 、ご理解頂けるのではないかと思います。そのご縁の力を役立てて頂いて、歴史の真実を知る手掛かりにして頂けたら、と思っています。

時の到来が迫っている時だけに、学者が主張している嘘事だらけの人類史から離れて、一刻も早く人類の歴史の真実をしっかり理解して頂くことが、何にも増して重要で あることはお分かりだろうと思います。万障お繰り合わせの上、ご来館されることを願っております。

それでは、私がカブレラストーンと巡り合い、誰にも許されなかった写真撮影のチャンスを与えられたわけと、2個の石をプレゼントされた経緯について簡単に説明させて頂くことにする。

 
 

 
 


狭い足場の中での撮影のため、より良い撮影角度を確保するのが大変であった。

 
 

カブレラ博物館を訪れる多くの人がその凄さに圧倒されることになるのだが、目にした線刻画を撮影することは許されていないため、記録に残すにはスケッチするか、離れた位置からの撮影をお願いするしかなかった。そんなカブレラストーンを私が特別に撮影させて頂けたのは、博物館館長のエウヘニア様(カブレラ博士のお嬢様)の特別な計らいがあったからである。

幸運にも特別に撮影が許可されるところとなったわけであるが、実は撮影には3日間という大変な時間を 要するところとなったのである。そしてその間、博物館は休館となり撮影のために時間を空けて頂くこととなったのである。

撮影にそれほどの時間を要するところとなったのには、幾つかの要因があった。その一つはカブレラ博士が保有しておられた石の数が 想像以上に多かったことであった。 中には疑問符が付く石もあったため、これはと思う石を選ぶのに時間を取られるところとなった。また撮影の際に苦労したのは、何しろ対象物の多くが重い石であるため、より良い撮影角度に石を動かすことが殊の外大変であったからである。

最大の難問は、部屋に明かりをつけた中で撮影しようとすると、石の表面が光ってしまって彫られた線がかすんでしまい、大事な絵 を綺麗に撮影出来ないことであった。反対に照明を落とすと、側面が暗くなってしまって絵にならない。そうした難問をクリアするには照明をすべて消して、薄暗い部屋の中で撮影時間を数秒間かけて撮るしかなかった。

 
 

 
 


イカの町の中心街にあるカブレラ博物館。
前の道路を車が頻繁に走るため撮影には難儀するところとなった。

 

そのためには三脚を使うことになるのだが、展示されている石の数が多過ぎて撮影空間が狭いため、三脚の立てる空間を確保するのが大変。さらに大変だったのは、博物館が町の中心のロータリー沿いに建っていて走る車の数が多いため、ブレのない写真を撮るには、車の振動が消えた瞬間を狙わねばならなかったことであった。 

シャッターを押したまま、5秒,6秒と数えて良しと思ってシャッターを切ろうとした瞬間に大型車が通ったら、それで万事休す。また初めからやり直しである。そんなことを何十回繰り返したことか。 中には一枚の撮影に2時間近い時間を要したものもあった。そうした厳しい状況の中での撮影であったが何とか難問を克服し、石全体像の線刻画が綺麗に浮き彫りになる写真の撮影に成功することが出来た次第である。

ご来館の皆様には撮影に関するそうした様々な苦労話を思い出して頂きながら、ゆっくりとご覧頂けたらと思っている。そして、カブレラ博士とバジリオ・ウチュヤ氏がご苦労して集められた一つ一つの線刻石が、 「真実の人類史」を知る上で、いかに重要な遺物であるかをご自身の目でしっかりと確かめられることを願っている。

 

フジテレビの「カブレラストーン」放映の衝撃

 
 

 
 


2004年8月フジテレビの「たけしのアンビリバボー」で放映されたカブレラストーン

 
 

私がカブレラ博物館を訪ねるところとなったのは2003年。その時には既にカブレラ博士はあの世に旅立 ちになられていたが、博士の娘さんであるエウヘニアさんからの一方ならぬご支援を頂いて、人類と恐竜との共存や脳外科手術、心臓の摘出手術など、信じ難い場面が刻まれた驚異の石の多くが、太古の人類が残された「本物の石」であることを確信するところとなったのだ。

その驚くべき事実を『恐竜と共に滅びた文明』として出版したところ、お陰様で大ヒットしベストセラーとなった。 それを受けて、当時人気のテレビ番組「たけしの奇跡体験・アンビリバボー」のスペシャル版として放映されたのが、2004年の8月であった。

番組のスタート時点では15%弱であった視聴率は時間の経過とともに増え続け、後半に入って20%を超すところとなった。それは他局からの切り替えが増えたからであった。実は、当日は東京オリンピックの中継や、プロ野球の首位攻防戦、また音楽番組の特番と重なっていたため、フジテレビ関係者も20%を超 した視聴率にはだいぶ驚かれたようである。

それにも増して驚いたのは私自身であった。テレビの放送が終わった直後の9時過ぎ頃から、私のホームページの来客数を告げるカウンターが一気に回数をあげ始めたからである。なんと、その動きは深夜2時半過ぎまで続き、一晩の来客数はおよそ3万人、1秒に1件を上回るところとなった。

その後に頂いたメールの数も凄い件数で、約2000通。出来る限り質問等には答えるようにしたため、その後、およそ1ヶ月間はメールにかかりっきりの毎日となってしまった。以下に掲載した写真は「たけしのアンビリバボー」で放映されたものである。

 
 

 
 


カブレラ博物館に向かう途中インタビューに答える私

 

 
 

 
 

 

「カブレラストーンに刻まれた人類と恐竜の姿、まさにそれは私たちが学校で
教わってきた人類の歴史を根底から覆す世紀の大発見でした」と語るビートたけし氏

 

 
 

 
 


カブレラストーンの発見の経緯を語るカブレラ博士のお嬢さん

 

 
 

 
 


私がカブレラ博物館を訪ねるきっかけとなった
「ICA模様石に秘められた謎」の著者・コルネリア・ペトラトゥ氏

 
 

私とカブレラストーンとの不思議なご縁

 
 

 
 


全ての石の写真撮影が許され、主要な石について線刻の精度や溝の深さ等
を詳細にチェックさせて頂けたのは、世界でただ一人私だけであった。

 
 

エウヘニアお嬢様がなぜ私のような凡人のために、3日間にわたって博物館を閉鎖しその驚異的な石の撮影を許されたのか、またカブレラストーンを守る会のメンバー8人の中に外国人でただ一人だけ私を加えて下さったのか、不思議に感じられる方も多いかと思うが、実はそれには、大きな理由があったのだ。

発見された石の中の一つは、私が過去性においてアンデスとアマゾンで6回にわたってシャーマンをしていた時、その石を使って多くの人々を治療していたようなのである。 実はその話は『真実への完全ガイド』(ヒカルランド刊)で対談したペトル・ホボット氏が 、私の自宅に来られた際に直接伝えて下さったものであった。

実はそれを裏付ける出来事が実際に起きたのである。不思議なことに私が望んだわけではないのに、カブレラストーンの発見者の第一人者である先住民・バジリオ・ウチュヤ氏が自身の所持していた石を、私にプレゼントしてくれることになったのである。 

その経緯については拙著『恐竜と共に滅びた文明』(徳間書店刊)に詳しく記されているので、 読んでみて頂きたい。 なお、同署は現在は絶版となっており、同じ内容が記された文庫本がヒカルランド社から『イカの線刻石』として出版されているので、これから読まれる方はそちらを読んで頂きたい。

実は、カブレラ博士のご息女・エウヘニアさんの計らいでバジリオ・ウチュヤ氏に案内して頂いて、「オクカヘ砂漠」に石の探索 に出かけることになっていたのだ。ところが、予定されていた日が近づいた時、彼は入院することになり間もなくお亡くなりになったのであるが、死の直前にエウヘニアさんは病室に呼ばれて、これを浅川に是非渡して欲しいと言われたというのだ。

その石は彼が自ら発見した石の中で、最も大事にしていたものだっただけに、エウヘニアさんをはじめ周囲の人たちは、大変に驚かれたようである。

 
 

 
 


ペトロ・ホボット氏が語ってくれた、私とカブレラストーとのご縁

 
 

そうした経緯で我が家にやって来たその石からパワーを頂いた愛猫チロは、奇跡的に24才という人間年齢では100歳を遥かに超えた年齢まで生かさせて頂いたわけである。 それからしばらくした後で、どうやらその石と私とは過去性において、強い縁で結ばれていたことが分かったのである。

実はペトル・ホボット氏が我が家にやって来られてこの石に手を当てていた時、突然「石が貴方に会えて、大変喜んでいますよ!」と言われたのだ。彼は決して嘘をつくような人物ではないだけに、この石は前世で私が治療に使っていた石であっ たというホボット氏の言葉は間違いなさそうである。そうでなければ、カブレラ博士と一緒に多くの石を発掘した男が大切に保有していた石が、地球の反対側に住む単なる凡人の私のもとに来ることなど、あり得ないからである。

今私はこの石の他にエウヘニア様から頂いた石と合わせて2個を大切に保管させて頂いているが、カブレラ博士やバジリオ・ウチュヤ氏から正式ルートで直接渡されたカブレラストーンは、世界広しといえども、スエーデンとスペインの王室に送られた 2個と私が保持している石だけなのである。 縁という目に見えぬエネルギーがいかに凄い力で人と人、人とモノを結び付けるかを改めて思い知らされるところとなった。

まだ確定はしていないが、出来るだけ早い機会に私の保有する二つの石は、皆様に直接目にして頂くこうと思っているので、石が私のもとにやってきた経緯とそのご縁については、是非記憶に留めておいて頂きたい。またカブレラストーンに関する話を、毎日昼の1時頃から40〜50分ほどさせて頂こうと思っていますので、都合がついたらその時間に合わせてご来館下さい。

なお、明日から始まる『 人類史を覆すカブレラストーン』展にご来館される皆様におかれては、疑問点があったら何なりと質問して頂いて、人類史の真実をしっかり頭に刻んで頂けたらと思っている。 皆様の新たなる旅たちに今回の展示会がお役に立つことを心から願っている。では、1日も早く徳乃蔵でお会いしましょう!

 
 

 
 


カブレラ博士が残された人類史を覆す貴重な石を、
研究材料としなかった学者は大変なカルマを積むことになるに違いない。

 
 

 




 

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