今回は北海道各地に残されたアイヌ語を見てみることにする。道内に住む2万6000人余のアイヌの人々が最も多く住んでいるのが、北海道の白老(しらおい)
と登別(のぼりべつ)日高地方であるが、この「しらおい」も「のぼりべつ」もアイヌ語である。
白老と言えば、以前、札幌で講演会を行っていた際にスタッフの人たちと一緒に、立ち寄った「アイヌ民族博物館
」を思い出す。アイヌの文化遺産を保存公開するために、1965年に白老市街地にあったアイヌ集落をポトロ湖畔に移設して復元したのが、アイヌ語で「ポロトコタン」と呼ばれるアイヌ民族博物館である。そこには、5軒の茅葺きのチセと呼ばれる建物や博物館、植物園などがあり多くの観光客が訪れている。
博物館については次回に改めてご紹介するが、愛称の「ポロトコタン」のポロはアイヌ語で「大きい」、コは「湖」、コタンは「集落・村」を意味する。つまり、ポロトコタンとは「大きな湖の近くの集落」という意味である。 因みに
、アイヌとはもともと「人間」を意味するアイヌ語であった。従って彼らをアイヌ人と呼ぶなら、我々もまたアイヌ人ということになる。
コロンブス一行がユカタン半島沖でメキシコの先住民とはじめて遭遇した時、丸木船に乗った彼等に「おまえたちは何処から来たのか」と聞いたところ「マヤム(むこうから)」と答えたことから、彼らをマヤ人と呼ぶようになり、今もなおそう呼び続けているのである。「ポロトコタン
」の名の由来を聞きながら、私はその話を思い出していた。
蝦夷地と呼ばれた北海道の多くの地に、アイヌの人々が古くから先住民として暮らしていたことを物語るのが、今日我々が使っている道内各地の町や湖、島など
に使われている呼称である。その多くはアイヌ語から来ており、移住者は先住民たちが使っていたその土地の呼称を聞いて、それを一度カタカナで表示した後、漢字を当てはめたようである。
講演会や写真撮影などで北海道を走りながら意味不明の言葉に出会い、それがアイヌ語に由来していることを知るたびに感心したのは、漢字表記の見事さであった。その代表的な事例を下に列記したので、見て頂きたい。読者も道内の人々がよくこんな漢字を探して、当てはめたものだと感心するに違いない。
我々が北海道に旅した際に目にする、おなじみの札幌、千歳、小樽、洞爺湖、襟裳岬、知床、礼文島などの地名は、みなアイヌ語を漢字表記したものなのである。
(アイヌ民族博物館ホームページ・「アイヌ語地名」欄から引用)
参考文献 : アイヌの歴史と文化(榎本進編 創童社刊)/アイヌ文化の基礎知識
(アイヌ民族館監修 草風社刊)/古代蝦夷とアイヌ(金田一京助 平凡社ライブラリー刊)/
木下清蔵遺作写真集「シラオイコタン」 / アイヌ民族博物館ホームページ
アイヌの人々が残した言葉をもとに付けられた土地の名は北海道だけでなく、九州から琉球諸島にかけて広い地域に残されている。それはアイヌ人が東北や北海道だけでなく、広く日本全土に住んでいたことを示す上で重要な証となっている。 またそれは、ムー文明や沖縄の先住民とのつながりを示してもいる。
それについては、最終回の「九州から琉球諸島にかけて残るアイヌ語の地名
」でお伝えすることにする。