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不思議な台風24号の進路

縁あって結ばれたサニリアート村
   セサル氏が送ってくれた直近の写真と
             15年前の写真で振り返る

 
 

 
 


15年前、サニリアート村に寄贈した小学校は、いま中学校として使われており、
開校式に訪れた時に校舎の前に植林した小さなヤシの木は大木に生長している。
今年完成した幼稚園 (下の写真) は中学校の横に建っている。

 
 

1月に掲載した「PERUの学校にクリスマスプレゼント」の記事で、セサル・ラトーレ氏を驚か せたある出来事 について記した。 それは、十数年前に私がサニリアート村に寄贈した小学校と市立の中学校を卒業し、大学生になった青年に出会ったことであった。 覚えておられるだろうか。

インカ遺跡の探索の途中で私が初めてウルバンバ川沿いの丘の上にあるこの村を訪ねたのは、今から15年ほど前。 古くなっていた小学校を建て替えねばと、村人たちが思案 していた最中であった。  前年にキタパライ村の学校を寄贈した後だけに、資金的に厳しかったが何とか建て替えに協力することになった。

その後、5年ほどして卒業生が出始めたので、地方政府が中学校を 建設することになった。 しかし、作られた教室数は2つであったため、すぐに満杯になってしまった。 そこで、小学校校舎を中学生用にかえ、小学校用に造った台所や給食室を増築して共同使用することにした。

こうして出来た小学校と中学校を卒業し 、大学生となった青年が偶然にもセサル氏と出会うことになったというわけである。  因みにペルーの小学校は日本と同じ6年制で、中学校は日本の中学と高等学校と同じ教育を受けるため5年制となっている。 そして大学は5年制であるので、小学校から大学までの通年の学年数は、我が国と同じ16年制である。

一方、小学校や中学を卒業した多くの女の子たちは その後、村人と結婚し、やがて子供を持つことになった。  ジャングルに住むペルーの村では、15歳ぐらいで結婚するのが通例であるため、20歳を過ぎたころには3〜4歳児の子供を持つことになる。

昨年再訪したセサル氏に、そうした母親たちが集まって、浅川パパに幼稚園建設をお願いしてもらえないかと依頼があり、それに応えて 2教室の幼稚園を造ったのは昨年の秋。 そこには今、20人ほどの園児たちが通っているようであるが、来年には30人になるだろう。 そうした経緯でサニリアート村は、幼稚園から小学校、中学 校まであるジャングルの中では極めて珍しい村となったのである。

そんな不思議なご縁のあるサニリアート村を、今回セサル氏たち一行が再び訪れることになり、 子供たちや村人たちと楽しい一時を過ごされたようである。 日本に戻られた後、完成した幼稚園や園児たちの様子が写った写真を送ってくれたので、掲載させてた抱くことにした 次第である。 本日と明日のセサル氏のライブの際にそんな話が出るかもしれない。

 



 



 

 
アウト・ウルバンバ川

学校は川の沿岸の高台にある
 

中学校


幼稚園
 

 



 



 

幼稚園の貯水槽

幼稚園の台所


トイレ
 

 



 



 


テープカットするセサル氏
 


園児と先生 @
 

A

 



 



 


園児の踊り @
 

A

B

 

教育の原点を見る!!

 

私がサニリアート村との深いご縁に結ばれることになったきっかけは、キタパライ村からの帰りに立ち寄った際に 行われた、 校舎再建の協力を要望する父兄たちの集会であった。 村人たちの要請の最後に女性の先生が語った新校舎建設に対する並々ならぬ情熱が、私の心を強く揺さぶったのだ。

「私はこの村に赴任して以来、何年も、遠く離れた家族と会っていません。 夫や子供達に会いに行く費用があったら、 それを新しい 校舎のためのレンガ造りに廻したいからです。 村の人々は私の心を知って、少ない家計の中からわずかづつですがお金を出してくれ、これまでに、 新校舎用のブロックを2000個ほど用意することが出来ました。・・・・・ 」。

我が国にも僻地教育(へきちきょういく)という制度がある。  少し不便な地域に赴任する先生には、この制度によって僻地手当が支給されている。 こうしなければ、人里離れた僻地に赴任する先生がいないからだ。  しかし日本の僻地には、電気もあれば電話も通じる。都会へ出ようとすれば数時間もすればいくらでも出掛けていける。

しかし、アマゾンやアンデス山中の僻地は桁違いの僻地である。 勿論、僻地手当の制度などあろうはずもない。 それでも こうした僻地に自ら志願して赴任する先生がいるのだ!! そして、このような先生の熱き心に打たれて、すこしでも教育の受けやすい学校を作ろうと、貧しい財布の中から幾ばくかの金を出す、お父さんやお母さんたちもおられるのだ。 

遠く離れたアンデスの地で、我が国では忘れられて久しい「教育の原点」を垣間見た思いであった。

 



 


鬱蒼としげる熱帯雨林
 

ウルバンバ川沿いには、
見事な滝が散在している。


集会に向かう「アボリジニー」
(原住民)の人々とすれ違う
 

 



 


危険な箇所では船を
降りて川岸を歩いて進む
 

 
サニリアート村の川岸に
着くと、たくさんの子供達が
駆け寄ってきた
 

古い校舎に集まった村人は、
先ず最初に国歌を斉唱する
日本では見られない光景だ。

 

苦労してそろえた2000個のブロックといえども、彼らが求める校舎と台所や教員室など付属施設には到底品不足である。 基礎まわりだけでも、さらに 3000個近いブロックを必要とするからである。 それに上屋(うわや)の建設資材はまったく用意されていない。 彼らの自助努力だけでは、校舎再建は何十年も先のことになってしまうことは明らであった。

もはや決断するしかない。 不安げな眼差しで見つめる村人たちに「来春の新学期までに新しい校舎を作ろう!」、私の決意が通訳のセサルを通じて人々の耳に届かぬうちに、以心伝心!  大きな拍手と喜びの歓声が上がった。  先生は駆け寄って来て、大粒の涙を流しながら私を抱きしめて放さない。 よほど嬉しかったに違いない。 早口でその喜びを語るが、スペイン語の出来ない私に分かるはずがない。

それでも、彼女の言わんとしていることはひしひしと伝わってくる。 村の人々を説得して頑張り続けてきたことや、長い間の単身赴任の努力が報われたことを必死に語るその思いが伝わってきた。

僻地の子供たちに少しでもよい環境で教育をさせてやりたい。 先生はそんな一心で、これまで頑張ってきたのだ。 ひたむきなその姿に打たれて、思わず目頭が熱くなった。  真新しい校舎を眺める時の、先生や村の人々の嬉しそうな顔を見られるなら、建設費など安いものだ。

集会を終えた後、川辺まで総出で見送りに来てくれた村の人々と、再会を約して、次なる訪問地マナワ村に向かう。  そこも小学校の建設の要望のある村である。 船上では、村人が差し入れてくれた果物に舌鼓(したづつみ)を打つ。  河風に打たれながら食べたパイナップルの、なんと美味しかったことか。 長い船旅の苦労も一気に吹き飛んでいってしまう、さわやかな一時であった。

 



 


どこでも子供達は
無邪気で可愛いらしい

 

お別れの際、記念写真に
収まる村人と子供達

見送りに来た村人の手には、
お土産の果物が一杯

 



 


オームを抱く少女
 


河岸で満面笑みを浮かべて
別れを惜しむ子供と村人たち
 

私の一人隣りに立つのが
私の心を揺さぶった女性の先生

 




 

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