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野良犬の乳を吸う少年。 その間、親犬は子犬の顔をかんで遊んであげている。
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「イスラエルの選挙がもたらすもの」に記したように、
近代的な新しい住宅に住んで、なに一つ不自由ない生活を営むイスラエル人がいる一方、国境となる高い壁を一つを隔てたすぐ隣には、あばら屋で貧しい生活を続けるパレスティナ人
たちが暮らしている。
さらに目を世界に転じると、何兆円もの富を持つ大富豪もいれば、その日暮らしもままならぬ者もいる。そんな貧富の差のあまりの大きさに愕然とさせられる昨今だが、しばらく前に見たあるブログに、野良犬の乳を吸って生活している貧困少年の記事が掲載されていたのを思い出した。
少年はインド東部、ジャールカンド州に住むクマール君という6才の少年で、数年前に父親を亡くし、母親と祖母、14才の兄、3才の弟の5人で暮らしており、働き手を失った一家は食べるのも困難な状態に置かれていた。14才の兄の月収1700円ではまともな
な食事が出来るはずがない
。
もちろん学校に通うことなど出来ぬクマール君であったが、彼には大親友がいた。それは近所に住む野良犬、その野良君があるとき出産して子育てをすることとなった。
おなかをすかしたクマール君は、子犬たちがおいしそうに母親のオッパイを吸っているのを見て、自分も一緒に乳を吸わせてもらおうと考えた。
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野良君のお陰で元気で生き抜くことが出来たクマール君
☆
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クマール君、生きていくにはこうして野良君のお乳を吸わせてもらうしかなかった。
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野良君は嫌がるそぶりも見せずに、我が子同様、クマール君に乳を吸わせ、我が子にするのと同じように顔を舐め、やさしくしてくれたのである。上の写真を見れば、野良君が満足そうにおっぱいを吸わせているのが分かるだろう。そんな生活がしばらく続いた後、野良犬の乳を飲む少年の話が村人に知れ渡り、地元当局が食品カードを与えて、学校へも通えるようになった。
役所がカードを与えたのは少年を助けるためではなく、狂犬病をうつされ周囲の子供に被害が広がるのを防ぐためだったというのだから聞いて呆れる。インドという国も仏教発祥の地にしては、なんとも情けない国になってしまったものだ。
その後、野良犬の乳を吸う必要がなくなったクマール君だが、そんないきさつを知らない野良君は、しばらくの間、クマール君を探しにわざわざ村の外まで出掛ける毎日が続いたという。 「イスラエル選挙がもたらすもの」の記事を書きながら
、ふとクマール君と野良君の話を思い出し、人と犬とどっちが進化しているのかと考え込んでしまった。
犬や猫など全ての生命体の上に立つはずの人間が、野良犬に出来ることをしてあげられないのだから、なんとも情けない話である。 野良犬とて餌が十分にあるわけではないのだから、自分の子犬に乳を飲ませるのが精一杯のはずである。それなのに
人間の子供に乳を飲ませるのだから、恐れ入る。
「万物の霊長」として生きてきた人間は、長大な歳月を経た今、ようやくアセンションを迎えようとしているというのに、
万物の上に立つ霊長どころか動物以下の振る舞いをしているのだから、なんとも情けない話である。
これではとても光の世界へなど進むことは無理というものだ。我が身の日々を振り返り、霊長の名に恥じないよう、チロに笑われないよう 精一杯頑張って生きていこうと決意した次第である。
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クマール君は野良君にとって子供のようなものだ。
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